魂は、曲がりくねった小道を行く


 二紀展の券をもらったからと、友人が誘ってくれたので、久しぶりに美術館に行く。子どもは、絵のなかになじみのものを見つけては、「ジョジョ(雪)」「ブッブー(車)」「シッシッポ(電車)」「パオ(象)」などなど叫ぶ。作品に触れようとするから目が離せない。落ち着かない美術鑑賞だった。エルミタージュ美術館展もやっていて、これはお金を払っても見たいが、子連れではいや。あきらめる。
 待ち合わせの時間より早くついたので、入り口の傘置き場で子どもと遊んでいた。子どもは傘立ての数字を半ばでたらめに読みながら興奮していた。ふと見ると手に100円玉を握っている。コイン返却式傘立ての取り忘れコイン。さらに2枚見つけて、計300円也。
 それから友人宅で、私の夫も合流して、夕食をご馳走になる。中国風の水餃子ほか。深夜近くに帰宅。星がおそろしくきれい。

 「魂は、曲がりくねった小道を行く」という言葉を、唐突に思い出し、気になってさがして、見つけた。なつかしい詩集のなかにあった。

  「困難な時期にある友だちたちに」 ヘルマン・ヘッセ

この暗い時期にも
いとしい友よ、私のことばを容れよ、
人生を明るいと思う時も、暗いと思う時も、
私は決して人生をののしるまい。

日の輝きと暴風雨とは
同じ空の違った表情に過ぎない。
運命は、甘いものにせよ、にがいものにせよ、
好ましい糧として役立てよう。

魂は、曲がりくねった小道を行く。
魂のことばを読むことを学びたまえ!
今日、魂にとって苦悩であったものを
明日はもう魂は恵みとしてたたえる。

未熟なものだけが死ぬ。
他のものには神性が教えようとする。
低いものからも、高いものからも
魂のこもった心を養うために。

あの最後の段階に達して始めて
私たちは自己に安らいを与えることができる。
その境に到って、父に呼ばれつつ
早くも天を見ることができる。
      (高橋健二訳)