自閉症児のコミュニケーション(アスペルガー症候群、高機能自閉症)その3

初雪。
朝起きたら、降ってる降ってる。つもってる。
寒いいい。

ちびさん、昨夜、幼稚園のおともだちに手紙を書いていた。
封をしたあと見せられたので、中身を見ていないんだけど、
「いじわるしちゃだめなので、なかよくしましょう」
って、書いた手紙を、今日、Sくんに渡すんだって。
もっていきました。

Sくんは一番仲良しなんだけど、「どろぼうだ、たいほする」
といつもいつも逮捕されるのが、いやだったらしい。
またそれを、直接相手に言えずにいたらしい。

でももっと仲良しでいたいのらしい。
事態打開にのりだす心意気はよしとして、伝わるか。手紙。

Sくんのお母さんが、息子がいじわるしたのか、とか、よけいな心配しなきゃいいな。

とりあえず、そのようなことで、よろしくお願いします、と担任の先生宛て連絡帳に書いてもたせた。



自閉症児のコミュニケーション。つづき)

☆意味の一般的な捉え方の困難、一部の意味の取り違えによる混乱

二等辺三角形の「片」→「線」ならわかるけど「変」?
等しい=同じ? 同じ点はどこ?→「点(…)」はない。
たぶん=きっと、そよ風=強い風、泣き虫=鳴く虫
ねぞう=寝ているぞう、手に下げる=低くする
心がかたむく=ななめになる
手を貸す=手を取って(切り落として)貸す→とってもこわい
回り道=まわりをぐるぐるする
まっすぐに帰る=道を曲がらないで帰る

☆なかなか答えられない理由

まちがえるかもしれないから、言いたくない。(完璧でない。ぴったりでない)
相手の期待通りのことを言わないといけないと思う。
みんなと違うことを言ってはいけないと思っている。
自分にとってぴったりの言葉が見つからないので言えない、まったくわからないのでもないので、わからないとも言えない。

☆言葉以外のボディサインの理解と使用の困難

単調な話しかた、声の大きさの調整が難しい
まわりとのリズムをあわせにくい
雰囲気を感じにくい
声の調子の意味がわからない

☆声色(抑揚と強調)

本当ですか(疑惑) 本当ですか(驚き) 本当ですか(納得)の区別

☆声色(強調)

ぼくにはそんなの無理(他の人だったらできる)
ぼくにはそんなの無理(別のことだったらできる)
ぼくにはそんなの無理(全然無理)
の区別
→ほかの具体的な言葉に置き換える。

☆全体を同時に見てよりも部分をひとつずつ見ながらつなぐ
たくさんのなかからFOCUSするのが難しい。

全体→細部(全体をぼんやり見ている)ではなく、細部→全体(ひとつひとつの情報を集めて統合してやっとわかる・全体ではなく部分的・一度にひとつ)
文具の箱からはさみを探すとき、並べることでひとつひとつがわかりやすい。
やきそばをつくるときも、使うものを、切る順、焼く順、使う順に並べるとわかりやすい。(小道モコ「わたし研究」)

☆慣用句に弱いわけ
「寝耳に水だったね」ではなく「nemiminimizuだったね」と聞こえる。変換に時間がかかる。やっと意味がわかっても、イメージは字義通りで寝ている耳に水をかけられていることが思い浮かぶ。(小道モコ「わたし研究」)

☆ことばでうまく伝えられない

使い方を知っていることばがほんのわずかしかない。いろいろな目的で同じことばを使う。
自分自身のことを表現したくても、具体的なことばを見つけることが難しい。
正しいことばを探すのに、とても長い時間をかけて考えなければならないことがある。
とくに答えなければというプレッシャーがあるとより難しくなる。
よくしゃべるが、明確に伝えられない。(相手にどう届くかを考えられない)

☆見えないものはないもの?

見えること=考えがおよぶこと
見えないこと=考えがおよび難いこと
後ろから声をかけられるとびっくりする。ないはずのものが突然あらわれたようなびっくり。
話しかけるときに、視界にはいりそうなところで手をひらひらしてもらうと、自分から注意をそっちに向けることができる。
視線ビームの行き届かないものは認知しにくい。(小道モコ「わたし研究」)

☆耳で聞いたスケジュールはすぐに消える

「10時からミーティングをするから、9時半までには資料をコピーしておいて」だと、何時にミーティングなのかわからなくなる。せめて「9時半までに資料のコピーをして。10時からミーティングするから」と言ってもらうとマシ。書いてもらうのが一番。
「ごはんを食べる」「休憩する(○○を△分する)」をスケジュールに書く。没頭してわすれてしまい、体を壊すため。
メモにしないと大変なことになる。(小道モコ「わたし研究」)

☆視覚的に説明できない概念の例(理解しづらい)

抽象的な概念→「正直」「親切」「協力」「幸福」「世間」等
時間の概念→時刻は読めるが、時間の流れは理解しにくい、時間が流れておわりがあるということが分からない。
空間の概念→空間に境目がない。教室も廊下も同じように感じている。それぞれの空間には意味付けがされ性格が異なるということがわからない。時間を追ってその空間の性格が変更されていくというようなことも理解が難しい。
感情のようなもの→「悲しみ」「怒り」「悪意」「嫉妬」等


(つづく)

ことばでうまく伝えられない、というのは本当にそうだった。「おまえの言ってることはわからん」とよく言われたし。伝えたいことが何か感情のようなものだったりすると、その感情の把握そのものも難しいので、ますますわかんなくなるのだった。
人間関係のなかで、うまくことばが使えない。しょうがないので、現実逃避にせっせと本読んで、憂さ晴らしにせっせと日記書いていたのは13歳くらいからだけど、それで何十年たって、でも今でも、やっぱり難しいと思う。
うまくやりとりできないだろうと思うから、人がたくさんのところとか、知らない人ばかりのところとか、知らない外国にひとりで行く、程度には今でもこわいもん。
視界に入らないものを意識しづらいから、「周りを見ていない」はいまでもよく言われる。「周りを見ていない」→「他人のことを考えない」→「自分勝手で自己中心」と言われてきたから、私はずっと、自分のことを悪人だと思うべきだと思っていました。

デジタル時計は苦手。その数字が何を意味しているのかを、理解するのに時間がかかる。やっぱり針2本つかって、空間とか模様とか、意味あるかたちをつくってくれないと。

10代20代のころの、あのわけのわからなさ、あのとほうもないわけのわからなさ、を、ちびさん、これからくぐり抜けていかなければならないかと思ったら、他人ごとながら(息子ごとだが)大変だろうなあ、と思う。
若くしてやるから、もう一度やれって言われても、私、絶対いやだもん。あの圧倒的なわけのわからなさが、すこしわけのわかることに変わっただけでも、年とったことはしあわせだもん。

でも、生きてみるのは誰も大変だから、きみはきみなりの大変さを生き抜いてみるといいのだ。それはたぶん、すごく面白いことだよ。