親の力だけで子どもを育てられない


 午前中、地域の集会所で女の人たち集まってトンボ玉のネックレス作り。別に、興味があるわけではないし、つくっても身につけることはないんだけど。去年、老人会で(世話係の当番で)つくった余り布のコサージュも暖簾に飾られたまま埃をかぶっている。

 夕方、マニラ在住の友人が帰国しているので会う。ゴミの山の学校から、写真、手紙その他、預かってきてくれる。彼女がご主人と生活しているのは、マカティという高級住宅街。そこからゴミの山のスラムまで、地理的にも心理的にも、ものすごく距離がある。移動するだけでもとてもストレスがかかることと思うのだけれど、お願いするといつも気持ちよく足を運んでくれる。感謝。
 妊娠出産育児で、数年行っていない間に、土地の様子もいろいろ変わっているようだ。学校の運営難は、相当に大変な状態が続いているようだ。なつかしい人たちに会いたいし、気がかりなこともあるし、なんとかして行きたいのだが、子どもを置いていける状態ではないし、連れていくわけにもいかない。思えば苦しい。

   親の力だけで子どもを育てられない、のは、ゴミ山のスラムの人たちも、私も同じ。ゴミ山の子どもたちのためにも、私の子どものためにも、味方をつくらなければ。かき集められる善意はありったけ、かき集めなければ。善意の結集のほかに、生きのびられる術がないのだ。どう言われようと、体裁をかまっている余裕もない。