『ハッキョへの坂』河津聖恵詩集

河津聖恵さんの新しい詩集。『ハッキョへの坂』
http://reliance.blog.eonet.jp/default/2011/04/post-60ba.html

言葉は、詩人がこれらの日々をどんなふうに生きてきたかを率直に伝えて、私にはとても親しく感じられるのですが、なかでもことさらに親しく思える数行があります。

「三月のいつだったか
当面の除外が決定されて間もない
眩暈のような永遠の日
私は一人だったのに
もうひとりではなかった
右手に
遠い南のくにの「思いやりの学校」の
クリアファイル百枚がずしりと重く
(その日 この国の品はどれも
生徒たちへの贈り物にはふさわしくないニセモノとなった)
かざした左手に 光は決して軽くはなかったけれど
つらい眩しさは
もうひとりではない不思議な予感だった
クリアファイルに描かれた
ゴミ山で生きる子どもたちのクレヨン画
花や虫や果実や人の笑顔
その未来の重みが掌を明るませ
子どものような勇気が
身の内にしずかに湧いた
風のような何かが 背中を押した
やがて誰もいない校庭からかすかなざわめきにくすぐられた頬」
           (Ⅰハッキョへの坂「友だち」から)

政府が、朝鮮学校を高校無償化の対象から除外する方針を固めた去年の三月、その理不尽に憤りながら、京都朝鮮中高級学校への坂道をのぼったときのことだと、あとがきにあります。
「その時、フィリピンのゴミ山の子どもたちが描いた可愛い絵が刷られたクリアファイルの重い束を抱え、私は校門へとゆっくり歩いていました。」

クリアファイルは、パアララン・パンタオの開校20年記念につくったものです。できたばかりのクリアファイルをたくさん買ってもらったのでした。
http://paaralang.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-ed67.html

クリアファイルと一緒に、私もその坂道をのぼったような気がしている。
ほのぼのとうれしい。



10年以上も前、その頃はゴミ山にも自由にのぼれたので、滞在中、私は毎日のようにゴミ山にのぼっていた。朝、学校に来る生徒たちは、午後ゴミ拾いをしていたし、午後学校に来る生徒たちは、朝、ゴミ拾いをしていた。
雨季、ぬかるむゴミのなかを歩くと、ずぶずぶと長靴がしずむ。強烈な腐臭。無数の蠅と蛆虫。そんななかを、子どもたちは、どうかするとゴム草履のままで、傷だらけの足で、ゴミを拾っている。つぶれた果物をゴミのなかから拾い上げて食べている。
ある日、自分ではもう見慣れたつもりだった光景なのに、なぜかそのとき、私はみじめさで押しつぶされそうな気持ちになって、と同時に、でも子どもたちは、この陰惨な光景にだけ結びついている存在ではなく、ゴミの山と貧困とだけに結びついた存在ではなく、本当はもっと深い、世界の喜びに結びついた存在なのだと、強く思ったことを、思い出す。
目の前を、女の子ふたりが、あっちのゴミのほうへ行こう、というふうにひとりが指さした方向へ、友だちどうし手をつないで、横切っていったことをおぼえてる。そのひたむきな横顔。

クリアファイルのいちばんふるい絵は94年に8歳だった女の子が画いてくれた絵、いちばん新しい絵は、2009年の生徒の絵。

不思議な旅を、しているよね。

「私たちは、私たちが子どもたちのために、子どもたちに対して、そして子どもたちと一緒に何をするかが、私たちの思いやりの質を明らかにすると信じています。」(パアララン・パンタオのレティ先生のスピーチ)