春の夕暮れ

春の夕暮れを畑にいる。せっせと水をやったのに、明日は雨みたい。
蕗を摘む。蕗の葉の下には神さまがいるというアイヌの話を思い出す。
もうすぐに、捨てられてゆく村の畦にも、蕗の葉はゆれているだろうな、と思う。牛が殺されてゆくこと、コゴミも蕨もぜんまいも摘みにゆけない春であること。みじめさの限りの人間たちが立ち去って、誰もいなくなった村にもなお蕗の葉はゆれていて、蕗の葉の下には神さまがいるだろうか。

倒れたブロッコリーも倒れた水菜も、倒れたまま黄の菜の花を咲かせている。夕暮れの菜の花の黄色は、不思議な色だ。ふと、どこかに、夕闇のなか、こんなふうに菜の花がゆれている坂道があって、その道をおりていけば、死者たちにも逢えるのだ、という気がしてくるほど。

子どもが学校の自分の植木鉢から掘り出してきた、チューリップとクロッカスとアネモネの球根を埋める。来年、その気になったら咲きなさい。
学校の植木鉢には、つぎはミニトマトを植えるらしい。