蒸しパン


 昨日はさつまいも入りの蒸しパンをつくってみた。蒸し器はないので鍋にザルを重ねて使う。食べるのも作るのも、子どものとき以来だ。形は悪いし、あんまりふくらまなかったが、そのぶん腹もちした。子どももいやがらずに食べた。喜んで、というほどではなかったが。
 昔、母親がつくってくれたのも、こんな感じだった。母たちは昭和一桁世代だから、子どもの頃が戦争で、蒸しパンひとつつくるのにも、昔は砂糖も入ってなかった、あんたたちはいい時代に生まれて幸せだ、と言っていたものだった。

   「あー失敗してしまった」と言いながら、ヨッコのお母さんが、蒸し器のなかから、形のくずれた蒸しパンを出して、私たちに食べさせてくれたことを思い出した。みっちゃんのお葬式の日だった。みっちゃんが死んだのは中一の秋。ヨッコの家はみっちゃんの家の近くで、お葬式のあと、小学校のときに親しかった友人たち数人と、ヨッコの家に寄ったのだった。
 あのときに傍らにいた友人たちの名前も、何十年ぶりかに思い出した。あれから私たちは少しずつ疎遠になり、いま小学校時代の友人で消息を知っているのはヨッコだけだ。彼女は看護師になり、結婚して2人の子のお母さんになっている。
 数年前に、10年ぶりぐらいに電話で話したとき、母親をひきとった、と言っていた。痴呆の症状が出たのだと。彼女は小学生のときに父親を亡くしていて、家を出て働きだすまで母娘ふたりの暮らしだった。

   いつのまに、ほんとうにいつのまに、私たちはあの頃の母親たちの年齢になっている。
 ちゃんとした蒸し器が欲しいなあ、と昨日ちょっとだけ思った。でも今日は、しまう場所がないから、なくてもいいか、と思っている。