ふるさとは


 えひめ丸の事故から10日で5年がたった。とすると、あの事故の数日前に祖母は死んだのだから、祖母の死からも5年がたったのだ。あの頃私は東京にいて、祖母の死の知らせに夜行バスで帰郷し、斎場で何年ぶりか何十年ぶりかに家族や親類たちに会ったのだった。
 それから東京に帰る途中、広島に立ち寄ったとき、その事故を知った。いまのいま背後にしてきた故郷に、後ろから追いかけられてきたような奇妙な気持ち。事故の悲劇性になのか、身近な生々しさになのか、喉がふさがれるような感じがした。その水産高校は、私の通った高校のすぐ近くだった。

 高校の頃、ひたすらにこの町を出て行きたいと願った。高校を卒業して家を出るとき、もう再び帰る家はない、と覚悟した。広島にいた頃、故郷は背後にあり、ときどき引きずり戻されるようではあったけれど、私は振り返るつもりもなかった。それから何年かして東京へ行くと、故郷はもう夢まぼろしのよう。遠い日の野山の記憶だけ懐かしかった。
 ところが、東京を離れてまた広島で暮らすことになると、愛媛の郷里は、背後ではなく、まして夢のなかではなく、なんだか目の前、鼻先にちらちらするのである。
 漂白してしまえないあれこれの愛憎が、妙に生々しくちらちらとして、この決着のつかなさは。

 ふるさとはとおくにありておもうもの。たぶん、瀬戸内海を隔てただけの、この中途半端な距離がなやましいのだ。