雪の女王


 NHKでやっていたアニメの「雪の女王」が最終回だった。いつも見ていたわけではないが、昨日は見ていた。悪魔の鏡の破片が胸に入っているせいで苦しみ出したカイが「ぼく死ぬのかしら」と言ったとき、私の膝にすわって指しゃぶりしていた子どもがふいに、口からすぽんと指を抜き、「シナナイ、シナナイ」と言った。
 ときどき、まるでもののわかった大人のようなことを、絶妙のタイミングで言うことがあって、びっくりする。それだけ言うと子どもはまた指しゃぶりしながら、うとうとしはじめた。

 子どもの頃、絵本がたった3冊だけ家にあった。世界文化社というところから、世界の名作絵本のシリーズ(全22冊)が刊行されて、母は私に最初の3冊だけを買ってくれていた。そのあとはお金がなくて買えなかった、と言っていた。
 その3冊のなかに「雪の女王」があった。1巻が「フランダースの犬/母をたずねて」、2巻が「マッチ売りの少女/雪の女王」、3巻が「クリスマス・キャロル/しあわせな王子」だった。
 幼稚園から帰ると、私はその3冊の本を毎日毎日めくっていた。赤いマジックの落書きがいまも残っていて、「の」という字を書いたうえに×が書いてあるのは、絵本の文字を見ながら「の」を書いてみたけど上手に書けなかったのを自分で悔しみながら×したのだ。

 それから長い歳月が過ぎて、10年ほど前、代替職員をしていた児童館の図書室で、私が3冊しか買ってもらえなかった世界の名作絵本シリーズが(1冊欠本があったが)揃っているのを見た。挿絵を描いているのは、朝倉摂杉田豊司修佐藤忠良と、そうそうたる顔ぶれである。思えば豪華な絵本なのだ。
 ところが、その絵本を捨てる、という。児童館には図書館や近隣の人たちから不要になった本が次々とやってきて、本棚に入りきらないので、古い本から処分される運命なのだ。捨てられるべく紐でくくられた本を、私はもらって帰った。子どもの頃に買ってもらえなかったものが、はからずも手に入ったことが不思議だった。
 いま、それらの絵本は息子のものになった。まだ内容が難しいので読んでやらないが、ひとりでめくって楽しんでいる。とりわけ気に入りの一冊を破られたときには、修繕しながら涙が出そうだったけれど、それもまた絵本というものの運命なのだろう。

 私の人生の最初に、あの3冊の絵本があったことを感謝している。「フランダースの犬」や「雪の女王」や「しあわせな王子」の物語を、知らない人生よりは、知っている人生のほうがずっといい。