レイテ島の災害


 子どもはテレビのことを「にゅーす」と言う。私たちが「ニュース、ニュース」と言いながらテレビをつけるからだろう。けれどもニュースに楽しい話はあんまりない。とりわけこの数日は、涙が出てくるようなニュースばかりだ。

 フィリピンの言葉が耳にとびこんできて、テレビを見ると土砂崩れの様相で、一瞬、ゴミの山がまた崩れたかと思った。
 2000年の忘れもしない7月10日、マニラ郊外のゴミの山が崩れ、ふもとの集落がのみこまれる、という事故が起きた。1週間で死者の数は200人を超え、そして数百人が行方不明のまま、ゴミの山に葬られた。私たちが支援しているフリースクールは無事だったが、23名の生徒が犠牲になった。事故から2週間後に私は現地を訪れた。そのときに見た景色、何もかもがのみこまれて、椰子の木と家の残骸がわずかにのぞいているだけの光景が、画面のなかにまたあった。
 レイテ島の地すべりの事故は、死者2000名とか。見る度に涙が出てくる。レイテ島には1度行ったことがある。94年の12月だから、もうずいぶん昔だが。

 ルソン島サンタフェというところで植林の活動をしている大場さんが言うには、いまのままではフィリピンの森林はあと30年でなくなってしまう。そうすれば人の住めない土地になる。深刻な問題なのだ。毎年の自然災害の背景には、森林伐採などの環境破壊があるのかもしれない。

 何年か前に、ゴミの山の学校の子どもが描いてくれた絵のことを思い出した。伐採されて切り株だけになった山から、大きな石が転がり落ちてくる。石には、貧困、暴力、麻薬、という文字が書かれていた。家庭の崩壊や暴力や、いろんなことに傷ついてきた女の子の描いた絵だった。