しゃぶしゃぶ


 国公立大学の2次試験がそろそろはじまっているようだ。しばらく前に市内に下りたときに、受験のときに泊まったホテルの近くを通ってなつかしかったけれど、受験の思い出は、生まれてはじめて「しゃぶしゃぶ」というものを食べたこと。

 「しゃぶしゃぶ」を、私はずっとお茶漬けのことだと思っていた。テレビで来日した外国の有名人などが、日本で好きな食べ物は、と訊かれて「しゃぶしゃぶ」と答えるのが、なんだか不思議で、そんなに特別においしいお茶漬けがあるのだろうか、それはどんなお茶漬けなんだろうと憧れた。

 受験のとき、知人が、「大学時代の友人でHというのがいるから連絡してやる」と連絡してくれて、そのHさんが、ホテルを予約してくれたり、港まで迎えに来てくれたりした。松山で港までのバスに迷って船に遅れ、到着時間が1便ずれたりして、いろいろ迷惑もかけたのだ。
 さて、無事に試験の終わったあと、家に電話をしたときに、3日間菓子パンしか食べていない (コンビニなんてまだ珍しい頃、レストランや食堂というところは値段も高そうだし、ひとりで入る勇気もなくて、ホテルの近くの商店で菓子パンを買うしかできなかったのだ)、とぽろっと言ったら、たまたま家に来ていた知人が「Hに電話してやるから、何か食べさせてもらえ」と言う。「そんな、いいよ」と断ったのに、そのあとホテルにHさんが来て、「しゃぶしゃぶでも食べようか」ということになった。

   試験の終わった脱力感と空腹でなんだかふらふらしていた私の前に運ばれてきたのは、おいしいお茶漬けではなく、ぺらぺらの生肉だった。大いにとまどったけれど、食べるとおいしい。Hさんはもっぱらビールを飲んでいる。ぺらぺらの生肉をゆで肉にして食べながら、私はいつご飯が出てくるだろうと待っていた。だが、Hさんはビールを飲み終え、私が肉を食べ終えるのを見ると、支払いをはじめたので、あ、ご飯はないんだ、と理解した。
 空腹の真ん中に、はじめてのしゃぶしゃぶはおりてきて、いっそう私を空腹にした。憧れのしゃぶしゃぶをおいしいと思うより、ご飯を食べたいと思う気持ちが強かった。
 で、そういうことを、口にできないくらいには、シャイだった。あのころは。