『海炭市叙景』

 
 雨。

 雨の夜は、フェリーの二等船室にゆられているような気がする。
 瀬戸内海を渡る松山-広島間のフェリーは学生の頃から数え切れないほど乗った。ときどきは阿賀-堀江間も。
 韓国に行ったときの関釜フェリー。2往復。
 それから北海道に行ったときも、青函トンネルがあるのに、なぜか港からフェリーに乗った。
 フィリピンではルソン島からミンドロ島へ渡るときに。一昔前に、瀬戸内海あたりを運行していたようなフェリーだった。
 フェリーの二等船室が好きである。すりきれたような絨毯の上に毛布にくるまって寝転んでいられるのが。

 青森から函館行きのフェリーは夜中に出ていた。乗客といってはトラックの運転手と私ぐらいで、そのときになって、北海道へは青函トンネルを使って列車でも行けるのだと気づいた。船はゆれて、すこしこわかった。
 もう10年以上も昔の3月。はじめて北海道を訪れた。記憶もおぼろだけれど、早朝の函館に着いて、それから駅に行ったのだと思う。青春18切符で鈍行を乗り継いで、窓から山や雪や、海や海鳥を見ながら、なんだかとほうもない景色のなかに来たと思った。

   一冊の本のことを思い出した。といっても、タイトルも作家の名前も忘れている。気になって本棚から探し出して、ようやく思い出した。佐藤泰志海炭市叙景』(集英社)。函館出身の作家の遺作。函館に着いたとき、『海炭市叙景』の街に来たと思った。その本を読んだとき、作品のなかを流れるせつなさや悲しさ、その透明感に胸打たれた。そのような悲しさを知ってくれる人がいる、ということに。その作家がすでに、1990年に41歳で自殺していることが淋しかった。

 解説(福間健二)から。
 「ここにある十八の物語のひとつひとつに佐藤泰志の精魂がこめられている。(略)それぞれが、この社会の見かけの豊かさの下で生きることの困難さに直面する人物たちの「生」を凝視している。これらの人物たちに私はかぎりない愛着をおぼえる。だれ一人いいかげんに生きてはいないし、まただれ一人安心を手に入れてはいない。そういう場所で、佐藤泰志の目は、単にやさしさを発揮するのでも容赦ない批評を放つのでもなく、しずかに人間に出会っている。」