夢みたものは


 夕方のNHKの教育番組は助かる。子どもは、私が米をとぐとき、米のなかに手をつっこんで自分もとぐ真似をしないと気がすまないが、そのあとはテレビを見ていてくれる。「に・ほ・ん・ご・で・あ・そ・ぼ」とテレビと一緒に叫んでいる。昨日か一昨日か、「夢みたものは ひとつの幸福」と、なつかしい詩の一節が聞こえてきて、それでまた本棚から古い詩集をだして、ぱらぱらめくっていたりする。

 立原道造は、12歳の頃、兄からもらった詩歌全集で、一番最初に好きになった詩人。あれこれと問題の絶えなかったわが家が、一番平和で落ち着いていた頃でもあって、彼の詩を読むと、あの頃住んでいた古い家のうすい硝子窓 (サッシなんかではなかった) から差し込む陽射しのあたたかさや、春の野山の色や匂いや、学校の行き帰りに家々の垣根の葉っぱをちぎりながら歩くから、指がいつも緑色に染まっていたことや、そんなことを次から次へと思い出す。

 「夢みたものは……」 立原道造

夢みたものは ひとつの幸福
ねがつたものは ひとつの愛
山なみのあちらにも しづかな村がある
明るい日曜日の 青い空がある

日傘をさした 田舎の娘らが
着かざつて 唄をうたつてゐる
大きなまるい輪をかいて
田舎の娘らが 踊ををどつてゐる

告げて うたつてゐるのは
青い翼の一羽の小鳥
低い枝で うたつてゐる

夢みたものは ひとつの愛
ねがつたものは ひとつの幸福
それらはすべてここに ある と