梅銀河


 街に出る用事があって、雨の中を出かけた。花盛りの梅が車窓に流れて、「梅銀河」という言葉を思った。
 もうずいぶん前になる。『梅銀河』というタイトルの歌集を送ってもらったことがあった。1度だけ会ったことのある麻生さんという年輩の歌人の方から。菜の花や梅や桜や、日々の営みのなにげなさ、軽やかさと、ほがらかさとを感じさせてくれる歌集だった。毎日を丁寧に生きている人と思った。
 一方、その頃の私はというと、まるで精神の廃墟に立ち尽くしているような気持ち、自分の言葉のひとつひとつは、瓦礫や破片や、棘や毒、そんなものでできていると感じられて、何か言葉を言うのがこわかった。それで、お礼の手紙のひとつ、書けないでいた。そうこうするうちに、麻生さんが病気で亡くなったことを聞かされた。死を覚悟されての歌集の上梓だったのだろうと、あとで思った。

 梅咲くを恍惚と佇ちて見納めしことしの梅は永久に散らざり (麻生有美) 

 間に合わないことというのは、あるのだ。なんだか間に合わないことばっかりだ。「時」というのはあって、「時」をはずすと、もうとりもどせない。若いときは、いくらでも時間はあるし、待っていてもらえると思っていたけれど(麻生さんにも、いつかお礼の手紙が書けるときがくるだろうと、私は思っていたんだった)、そんなにたくさんの時間がゆるされているわけではなく、いつまでも待ってもらえるわけではなく、人生はほんとうに容赦ない。

 夜の闇に桜あかるき傘のやう明るきことと散る約束と (麻生有美)