「希望」について


 庭の沈丁花が咲きはじめた。ほのかにいい匂いがしている。
 水やりを子どもが手伝ってくれる。ので、いつもより時間がかかる。自分の足もとをびしゃびしゃにしながら、如雨露の水を飲もうとしていたり。

 天気がいいので、川の土手まで遊びに行く。部屋のなかにいると、とても大きな生きものを相手にしているようなのだが、広い景色のなかに放つと、菜の花の咲きはじめた河原を駆け回っている姿は、仔犬みたい、ほんとうに小さな小さな子どもなのだった。
 カンゾウナが生えているのを見つけた。これは食べられる草。ぬたにするとおいしい。摘んで帰ることにする。ちびさん、踏まないで、晩のおかずにするんだから。ねぎの匂いのする草もある。たぶん、ねぎの類だろう。ねぎも切れているのでこれも摘む。

 年度末。ゴミの山の学校への寄付の、収支の決算をする。支援をはじめてから、10年が過ぎたので、10年分の収支もまとめる。私も、学校も、子どもたちも、どれだけたくさんの人の思いやりに支えられてあることだろうと、胸が熱くなった。ありがとうございます。ありがとうございます!

 絶望はエゴイズムだろうと思ったのは、ゴミの山だった。希望が要る、と思った。そこには子どもたちがいて、子どもたちがいるなら、希望が要る。希望がもしもないのなら、希望をつくらなければ。学校が希望につながるなら学校を。そのためにお金が必要ならお金を。
 15歳の頃には、死語のように感じられていた「希望」という言葉が、生き生きと蘇っているのが不思議だった。あのゴミの山で、私の心のなかで「希望」という言葉が蘇生した。言葉は生きはじめて、そうして私を生かしはじめた。
 あの土地の子どもたちに、与えてもらったものはたくさんある。恩がある、と思う。

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