おとみさん


 おとみさん、と名付けた。庭の真ん中に切り株だけの木があり、きっと枯れたから切られたのだろうが、切り株から細い枝が伸びて、2つばかり小さな蕾をつけていたのが、花開いた。紅梅。
 とすると、この庭はもとは紅梅白梅並んで咲いていたのでしたか。

   狭くて日当たりの悪い庭に、あれこれと植えられているのである。梅に桜に(今年も花は咲きそうにない。病気になったり枯れそうになったり、生きてるだけでありがたいような桜だ)、モミジに、山茶花、千両、万両、南天、椿、小手毬、金木犀、山椒、萩、ぐみの木、さるすべりツツジ、サツキ、シキミ、金露梅に紫陽花、つる薔薇もある。花も実もならないくせに、枯れそうで枯れないライラックと金柑。なんだか名前のわからない木も。
 そしてもうじき咲きそうな、ミモザ木瓜、雪柳、今が花盛りの沈丁花

 ちっとも手入れをしないから、水仙の類は、だんだん花が減り、今年はついに、たったひとつの花も咲かず、葉っぱだけとなった。かと思うと、こんな庭で育てるべきじゃない牡丹が(でももらったので植えていた)、花も咲かずに案の定枯れたのが、その根元から新しい茎と葉を伸ばしている。

 菊は、もといた場所の日当たりの悪いのがいやだったらしく、翌年は別の場所で育っていた。今年もそこに陣地をとるつもりらしく、新しい葉を広げている。

 夫の実家の庭は、この時期、紫木蓮がきれいだが、義母が言うには、その木は自分で歩いたのだそうである。義母が植えた場所から数メートル移動した場所で、育っていった、というのだ。そんなことがあるはずはない、とも思うが、そういうこともあるかもしれない、とも思う。なんといってもいのちは不思議。