つくしんぼ


  つくしんぼ  兵頭明

いけのそばのみちで
つくしんぼが
そだっていました
きょう とりにいって
すこし とってかえりました

 『どろんこのうた』(仲野猛編著)所収。

 いい天気。出かけたついでに山のほうへつくしを採りに行く。去年見つけた密生地。行ってみるとあるわあるわ、畑の斜面にびっしり。採っていると、うぐいすが鳴き、子どもが「ホケキョー」と言う。アザミの葉が指にあたるのが痛かったけれど、レジ袋ふたつがいっぱいになるほど、たくさん採った。
 子どもも5本か10本ほどは採った。畑の休耕地を走り回り、水路にわざと足をつっこみ、急な斜面をけっこうたくましく登りきり、でもおりられない。

 つくしは頭をもいだり袴を剥いたり下ごしらえが面倒だ。頭と袴をとったら、半分ほどの量になり、調理をするとさらに少なくなる。夫は子どもの頃、いっぱいつくしんぼを摘んで帰ったのに、食べるときにはちょっとになってしまったのがショックで、それ以来つくしを摘まなくなったという。私は逆で、採る量を増やせばいいのだ、と考えた。それで昨日も、食べきれないほど、その前に下ごしらえにうんざりするほど、採ってしまった。
 うぐいすが鳴いたせいで、子どもはつくしを見ては「ホケキョー」と言う。教えても「つくし」とうまく発音できないようで「くつし」とか「くしき」とか「くしくし」になってしまう。私がつくしの頭や袴をとっている横で、子どもはつくしの頭を並べて遊んでいた。
 食事の後もみんなが寝た後も、かれこれ2時間ほど、指を真っ黒にして、つくしの袴を剥きつづけていたが、もう飽きた。でもまだ終わっていない。

 山ほどのつくしの袴を剥きながら、部屋に電気があかるく灯って、今日食べるお米があって、何かしらおかずになるものもあって、そういう夜に、平和はいいね、幸せだねと、ほんとうにしみじみと、話していたような時代もあると思った。
 そんなシンプルな幸福に気づけないほど、豊かで複雑な国がある一方で、灯りと食べるものがあるという、たったそれだけの幸福さえ奪われている戦乱と飢餓の大地もあって、それらが同じ地球に存在する不思議。