詩人の名前


 たぶんもう、3年ぶりぐらい、久しぶりに宇品港に行ってみた。以前はほんとうに殺風景な、何にもないところだったのに、釜山へのフェリーが就航してから、港はすっかり様変わりしたようで、新しいビルは出来ているし、海に面したテラスは、散歩にちょうどいい。子どもは柵にもたれて海をのぞいたり、船を見たり、走り回ったりしていた。電車のターミナルも立派なのができていて、広い公園もあって、半日子どもを遊ばせるにはじゅうぶんだった。

 昔の建物のなかに、韓国の物産店が入っていて、見ていたら、キムチ味のインスタントラーメンがある。学生の頃、韓国に行ったときお土産で買ってきて以来、好き。日本でもたまに見かけると買っていたけれど、もう何年も食べていない。私がラーメンを物色している間、夫が子どもを見ていてくれた。お店の韓国人のおばさんとお話しているみたいだった。
 帰り際、おばさんが出口まで見送ってくれて、ラーメンを抱えた私に「韓国はなぜ?」と訊くので、なぜそんなことを?と思いつつ、「学生の頃に何度か行きました。そのときは下関から」と答えた。

 あとで聞いたのだが、おばさんが子どもに声をかけてくれて、話すうち、名前の話になったらしい。
 子どもは、韓国の国民的な詩人と同じ名前。私がその詩人の詩をたいへん好きで、つけた名前なのだけれど、子どもの名前を聞いたとたん、おばさんの表情が変わってびっくりした、と夫は言った。
 おばさんは「すごい名前だ。立派ないい男になるよ」と言ってくれたらしい。

 それにしても詩人は偉大。詩人と同じ名前というだけなのに、おばさんは私たちが店を出るまで、パパに抱っこされている子どもに寄り添うようにして、ずっと子どもの手を握っていた。

   詩人の名前は、李陸史(イユクサ)。日本が侵略していた時代に、抵抗運動の咎で、何度も牢獄に繋がれたあげくに殺された。李陸史は筆名。囚人番号が264(イユクサ)だったことに由来するという。子どもが生まれた朝、その詩人の詩を思い出した。

 昔、韓国に旅したときのことなど思い出してなつかしかった。若いうちに旅しておいてよかったと思った。その日泊まるところもわからないような、あんなお金のない無鉄砲な旅を、いまやろうと思ったって、できない。