記憶の草地


 向かいの森の桜が花ざかり。大きなモミの木の後ろに、ソメイヨシノの巨木が3、4本は並んでいるようで、山の緑を背景に、はなやかなのにひっそりと咲き誇っている。2階の窓からの眺めが、ただもうきれい。子どもが、「サクラ、サクラ、ホケキョー」という。うぐいすも鳴いている。

 まだほんの子どもの頃、桜の季節に、野山のなかにいた。たぶん、両親や叔父たちとお弁当をもって出かけたのだが、空から花びらが降り、鳥が鳴き交わし、きらきら光る草を踏んでいた、あの場所がどこだったかわからない。
 もっとも、家族の行楽も、小学校から高校までの遠足も、山へ行くか海へ行くかしかないのだから、山の中の草地なんて、どこも同じようなもので、たぶんその場所も、なんでもないただの草地なのだけれど、子どもの頃の、ある春の日に、私は信じられないようなきれいな景色のなかにいたと、記憶のなかであまりに眩しい。
 どこにでもありそうな、なんでもない草地は、でもだからこそ、2度とたどり着けない場所であったりするのかもしれない。

   午後から曇り、夜になって雨。