しゅき


 いったい子どもは、1日に何度、「ママしゅき、パパしゅき」を言っていることか。子どもの「しゅき」をうっとりと聞いたのは、最初の数日で、次第に、この「しゅき」はなかなか曲者だと思うようになった。
 いたずらをして叱られそうになると「ママしゅき」と叫んで膝に顔を埋めに来る。「ママしゅき」(だから怒らないで)なのだ。甘えたいときも「ママしゅき」(だから抱っこ)、それで抱っこされると振り向いて「パパしゅき」となんとなくバランスをとっている。私が本を読んでいると、その上に自分の絵本を重ねて「ママしゅき」(だからご本読んで)。パパがパソコンをひらくと「パパしゅき」(だからパソコンさわらせて)。
 親たちが別々の部屋で別々のことをしていると、両方を行ったり来たりしながら「パパしゅき、ママしゅき」を言っている。「パパしゅき」と言おうとして間違えて「ママしゅき」と言ってしまって、困惑していたりするのが、おかしい。
 便利な言葉を見つけたものである。そんなに「しゅき」を言わなくていいから、「ごめんなさい」とか「ありがとう」とか「ご本読んで」とか、言ってほしいのだが。

 自分の声に苛立ちが響いているな、と自分でやりきれない気持ちのときに、「ママしゅき」と子どもに小さく叫ばれたりすると、ちょっとこたえる。いったい、親たちのどんな欠落を補おうとして、この子は「しゅき」を言うのだろう。
 家族、という箱舟の、もしかしたら私たちの気づかないところに小さなキズや亀裂はあって、子どもはそれを「しゅき」という言葉で必死で埋めようとしているのではないかしら。
 私たちの欠落があんまりだから、子どもにこんなにたくさんの「しゅき」を言わせなければならないのだろうかと、切なくて泣きそうになる。
 そんなに「しゅき」を言わなくていいから。大丈夫、心配しなくていいから。