病める庭園


 中学校の図書館で、由紀ちゃんが、新しいノートの最初のページを見せてくれた。そこには私が貸していた詩集から、丸山薫の「嘘」という詩が書き写されていて、「この詩がよかった」と言って、詩集を返してくれた。丸山薫の詩なら「病める庭園」のほうが私は好きだったけれど、読み返してみると、「嘘」もとてもいい詩だと思った。
 由紀ちゃんのノートを見ながら、ノートに1ページ目に、好きな詩を書くのはとても素敵なことだと思った。真似することにした。数学や英語や理科や、嫌いな科目のときにもノートをひらくのが少し嬉しくなりそうな気がする。何より、好きな詩を書き写すということ自体が楽しかった。それ以来、ノートの最初のページには、そのときどきに心にとまった詩や文章の一節を書き写すのが習慣になった。
 中学から大学までの間に使った何十冊ものノートはすべて処分してしまったから、何を書いたかもうわからないけれど、一番最初に書き写した詩は、丸山薫の「病める庭園」だった。読まなければ気づかなかったのに、読んでしまったので気づいてしまった。「キリコロセ」という言葉を読むのがとてもこわくて、けれどもそれも、私の心のどこかにひびいている声なら、気づかなかったふりはできない。そんなふうに、心のなかにやきついてしまった詩。

     「病める庭園」   丸山薫

静かな午(ひる)さがりの縁さきに
父は肥つて風船玉のやうに籐椅子にのつかり
母は半ば老いて その傍に毛糸を編む
いま春のぎやうぎやうしも来て啼(な)かない
この富裕に病んだ懶(ものう)い風景を
誰れがさつきから泣かしてゐるのだ

 オトウサンヲキリコロ
 オカアサンヲキリコロ

それは築山の奥に咲いてゐる
黄色い薔薇の葩(はな)びらをむしりとりながら
またしても泪に濡れて叫ぶ
ここには見えない憂鬱の顫(ふる)へごゑであつた

 オトウサンナンカキリコロ
 オカアサンナンカキリコロ
 ミンナキリコロ