こでまり


 ぼたんの花が咲いた。三本あるうちの一本に、たったひとつだけつぼみをつけていた赤いのが。こんなに狭い庭で、なんにも手入れしてないので咲くわけないと思っていたから、たったひとつでも咲いてくれてうれしい。その横ではこでまりの花も咲きはじめた。さつき、つつじ、芝桜とわすれな草も咲いて、すずらんと都忘れももうじき咲くと思う。あやめも、ひとつつぼみをつけている。日に日に花が咲きそろう。

   中学校の中庭の隅に小さな花壇があって、こでまりの花が咲いていた。週に1時間、クラブの時間があって、何かのクラブに入らなければいけなかったが、入りたいクラブがなかった。運動も料理もお茶もお花も英語も音楽もいや。なんにもしたくなくて、入ったのが園芸部だった。
 そこは居心地がよかった。全学年で3人とか5人とか、それくらいしかいない。たぶん、私も含めて、園芸が好きで入った生徒はいなかったと思う。おとなしくて、引っ込み思案で、運動は苦手で、人と話すのがむずかしそうで、とくに何かをしたいということもなくて、ほかにいくところもないからここにいる、という感じだった。
 クラブの時間にすることといっては、小さな花壇の手入れのほかにはなかった。土の入れ替えをしたり、花の苗を植えたり、草引きをしたり。作業はのんびりすればよかった。誰かとおしゃべりしながらでもいいし、ひとりで黙っていてもいい。なんにもしなくてもよかった。
 小さな竹林の陰や、こでまりの花の陰は、とても居心地がよかった。3年間、園芸部にいた。そして春はこでまりの花の陰で、ぽかぽか日向ぼっこをして過ごしたのだ。

 理恵さんという女の子がいて、3年間同じクラブだった。こでまりの花を見ると、彼女を思い出す。毎週1時間、彼女と一緒に、春にはこでまりが咲く小さな花壇で過ごしたのだ。やさしい友だちだった。卒業後、彼女は看護科にすすんで、私たちは会うこともなくなったけれど、誕生日に彼女からもらった本がいまもある。『名訳詩集』(白凰社)。長い歳月、かたわらにありつづけてくれている。

  わすれなぐさ   ヴィルヘルム・アレント

ながれのきしのひともとは、
みそらのいろのみづあさぎ、
なみ、ことごとく、くちづけし
はた、ことごとく、わすれゆく。
      (上田敏訳)