都忘れ


 1日じゅう雨。いまも雨。
 庭はぼたんが散って、あやめが咲いた。これがまたひとつだけ。なだれるようなこでまりの傍らには、都忘れの群落が花盛り。

 小学生だった頃、デパートの手芸コーナーで、紙の造花をつくるセットが売られていて、ねだって買ってもらったことがあった。薔薇やスイートピー、いろんな種類の造花セットがあったが、都忘れ、という花の名前は、その手芸セットではじめて知った。
 どうして都忘れという名前なんだろうと思った。都を忘れる、でも忘れるためには知っていなければならない。だから、都を知らない自分からは、何段階も遠いところにある花だということが、その花をすてきに見せた。
 造花の都忘れをつくりながら、ほんものの都忘れの花をいつか見たいと思った。そして、都を忘れる、ということを体験したい。都に、ではなく、「都を忘れる」ことにあこがれた。もっとも四国の田舎の小学生の頭のなかにあった都は、現代の東京、みたいなところではなく、平安の京都、みたいなところ、何かの理由で都を追われたお姫様が、その花を眺めているのを想像したりした。

 昔あこがれた都忘れが、庭にある。東京をひきはらって戻ってきて、落ち着くことになった家の庭に。花を見て思い出すのはしかし、数年前までそこで生きていた都のことでなく、都を忘れることにあこがれた子どもの頃の気持ちと、できあがってみると、いかにも安っぽかった紙の造花の都忘れ。トイレの壁に、色も褪せ埃だらけになるまで飾られていた。