子どもの複雑


 江國香織の『絵本を抱えて部屋のすみへ』(白泉社)は、楽しい読書案内(絵本の)だった。巻末に、五味太郎との対談が収録されていて、思わず、そうそうそうだよね、とうなずいたところがあった。

 五味 「子どもの頃はだから、非常に複雑にものを考えてたような気がする。よく子どもの頃が懐かしいという人がいるけど、もう戻りたくないね。」
 江國 「私もすごくそういう気がする。自分の中が十分複雑なのに、外はもっと複雑に違いないって思って、世界が怖かったし、ほんとに不安だった。」
 (略)
 江國 「大人になるためには端からものを知っていかなければならないと思ってた。それが、知ってるかどうかじゃなくて、その時考えて決めればいいんだとわかったら、ものすごく全部が単純になって、すごく楽になって。」
 (略)
 江國 「ずいぶん前は「ほんとうのこと」があると思ってた。目に見えるものの後ろに、目に見えない「ほんとうのこと」があるって。でも、そんなものあるのかなあ、と今は思う。」

 そうなのだ。子どもの頃に限らず、成人を過ぎても、自分のなかの複雑怪奇を抱えあぐねて精一杯、これ以上どうやって世の中の複雑怪奇に対峙すればいいんだろうと、途方にくれっぱなしだった。青春なんかきらいだ。
 ようやく生きることはシンプルに、こころ楽しくなってきたと思うこの頃だけれど、2歳半の息子はこれから複雑になってゆくのらしく、日ごとに新しい表情を見せてくれる。いったい、その不満そうな上目遣いはなんなんですか。それから、何かたくらんでいそうなその不敵な笑みは。