閉じ込められた春

フォト・ジャーナリスト森住卓さんの Img_1226
「汚染された村  飯館村・閉じ込められた春」
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昨日から山口の義父母さんち。今日は津和野に行った。とちゅう、徳佐の駅のホームで、SLやまぐち号を見る。ほんとうは乗りたかったけど、連休当日になって切符とろうなんて無理でした。 Img_1227_2
山の新緑は、安野光雅の絵本を思い出すけど、津和野には安野光雅美術館があって、お気に入り。今回は美術館のなかには入らず、入り口の売店で休憩。なぜか中村哲さんの本があって、アフガニスタンの水路の話をすこし立ち読み。子どもは飾ってある船の絵がいたく気に入って、ずーっとながめてた。「にほんご」という本、安野さんや谷川俊太郎さんたちがつくった国語の教科書のような本、私が学生の頃に買った本を、いま子どもが愛読してるが、1979年に出た本がまだ版を重ねている。
それから鯉にえさやった。観光客がたくさんいて、太った鯉たちはたらふく鯉の餌を食わされて、もう見向きもしないが、子どもが投げたパンには食らいついていた。飼育係にでもなったように得意そうだった。 Img_1271
それから萩へ行って、ごはん食べて帰った。
半日、黄砂にかすむ春の田園風景のなかにいた。

昔、東京にいた頃、帰省するなら春、と決めていた。帰省しても父の顔を見る以外は、誰に会うわけでも何をするわけでもなかったが、1日か2日、春の野山で過ごせば、まだしばらく生きていけそうだ、という気がした。
こんなところで生きられないと18歳の私は思って出ていったのだが、それでも、こののどかな春の景色から切り離されて生きねばならないことは、どうしても理不尽な気がした。はっきり言えばとてもつらいことだった。人生の失策はたくさんあるが、そのなかでも最大の失策にちがいない。

原発事故のために、村の春を捨てていかなければならない人たちがいることを、思った。ヴェイユの「根こぎ」という言葉(近代の残酷を言い当てた言葉だと思う)を思いだした。