「これが私の故里だ」

  ふるさとや石垣歯朶に春の月
  永き日のにはとり柵を越えにけり

たとえば芝不器男の俳句からは、愛媛の南予の、つまり私の郷里の匂いを、息苦しいくらいに感じる。それらの句は、不器男が作者でなく、風土が不器男の手を借りただけだと思えるくらい。

山口にいると、中原中也の詩の基層には、たしかにこの風土があるのだなあと、思う。望郷の思いはつよかったろう。現実に帰れる故里ではなかったにせよ。
東京を去る前に、友人に書いた手紙に、
「ほとほともう肉感に乏しい関東の空の下にはくたびれました。」
とあって、私は見る度、強く共感する。

Img_1283

午前中、ひとりで中也記念館に行ってきた。どういうわけか今日は入館料が無料で、なんだか感激だ、あたりは観光客も歩いているから、いつも閑散とした館内もすこしは人が多い。それでもとても静か。
展示内容はときどき変わるから、年に1度か2度、足を運ぶとちょうどいいみたい。
いま常設展は「これが私の故里だ」というテーマ。

 これが私の故里だ
 さやかに風も吹いてゐる
 (略)   
 あゝ おまへはなにをして来たのだと…
 吹き来る風が私に云ふ


少年時代の中也の写真が、実物大より少しちいさいくらいに切り取られて、それが柱の影から猫といっしょに顔をのぞかせたりしているのが、楽しい。大変上手な、子どものころのお習字とか。ときおり帰省したときの様子とか。  
館内は撮影禁止。これは表に展示してあった詩。  

Img_1277

暗い公園

雨を含んだ暗い空の中に
大きいポプラは聳[そそ]り立ち、
その天頂(てつぺん)は殆んど空に消え入つてゐた。

六月の宵、風暖く、
公園の中に人気はなかつた。
私はその日、なほ少年であつた。

ポプラは暗い空に聳り立ち、
その黒々と見える葉は風にハタハタと鳴つてゐた。
仰ぐにつけても、私の胸に、希望は鳴つた。

今宵も私は故郷(ふるさと)の、その樹の下に立つてゐる。
其[そ]の後十年、その樹にも私にも、
お話する程の変りはない。

けれど、あゝ、何か、何か……変つたと思つてゐる。

      (一九三六・一一・一七)