姫と魔物


 ひきつづき、丸山薫の詩について。
 「朝鮮」という散文詩は昭和12年に発表されている。

 「いつ頃か、姫は走っていた。姫のうしろを魔物がけんめいに追っていた。彼女は逃げながら髪に挿した櫛を抜いてほうった。櫛は魔物との間に、突兀(とつこつ)として三角の山になった。魔物はその山の陰にかくれた。そのまま姫は遠く離れた。」

 追いかける魔物(日本)と逃げる姫(朝鮮)との物語。姫は何度も逃げようとするが、ついにつかまってしまう。

 「しかも、今日なほ国土の何処かを、宿命の姫は走ってゐた。身を纏ふすべてを投げつくした裸にちかい姿で、叫びながら走りつづけてゐた。魔物はなほも惨酷な爪を伸して彼女の襟髪(えりがみ)を掴まうとしてゐた。
 或る年のもつとも不幸な瞬間、彼女は最後の部分を覆った薄い布片(ぬのきれ)を抛つて、悲しさに身を伏せてしまつた。」

 詩の最後、姫の「最後の部分を覆った薄い布きれ」は大洪水となってあらゆるものを呑みつくす。朝鮮が完全に植民地化された悲惨を物語っているのだが、悪夢のような洪水の情景は、胸が裂かれるような感じがする。

 内務省の官吏だった父に連れられて、詩人は明治37年5歳のときから4年間、朝鮮の京城(ソウル)で暮らしている。日韓併合の頃だ。詩はそれから30年後、侵略された国土の荒廃と、抑圧者の残酷を、童話のかたちで語っている。朝鮮はまだ解放されていない。
 解説には「彼のヒューマニズムの精神を示した重要な作品」とある。

 幼少期の植民地朝鮮での体験と、植民地の悲惨を語った「朝鮮」の詩をあわせて思えば、「病める庭園」は、そのまま、宗主国日本の喩になると思った。
 「この富裕に病んだ懶(ものう)い風景」。