西行花伝


 『西行花伝』(辻邦生)読了。図書館の本を、何度も貸し出しの延長しながら、子どもに邪魔されながら (最近私が本を開くと、とんできて「ごほん、おしまい」と言い、ぱたんと閉じてしまう。そうして自分の絵本をもってくる) 読み終えた。

 「もし御仏の法(のり)のように永遠(とこしなえ)なるものがあるとしますと、それは、あなたや私を通って──死者(しせるもの)を決意した人を通って──現われた森羅万象(いきとしいけるもの)の歓喜(よろこび)です。この大いなる生命は私たちのなかに、歓喜(よろこび)という形で分与(わけあたえ)られていますから、私たちが歓喜(よろこび)に生きているかぎり、大いなる生命とともに在るということができます。
 現身(うつしみ)の私たちが、地上を離れ、真の死を迎えるとき、肉体(わがみ)は果敢なく消えますが、私たちの中にある、この大いなる生命は消えません。私たちは天地自然の歓喜(よろこび)を感じながら、まさに、その歓喜(よろこび)として星となり、月となり、花々となり、風となるのです。そのことを言葉だけが、歌だけが、疑いない事実(まこと)として証しすることができるのです。」

 「仏法とは生命と言い直してもいい。」

 「生きるとは、もともと、これ見よがしの形のあるものではなく、他人が知るものでもない。自分のなかにひたすら流れるものだ。」

 歓喜、永遠の生命、宇宙の運行は慈悲であること、地上に在るということは美しいことだと、繰り返し作品に書こうとした作家だった、と思う。それを読むのは、とても快いことだった。