片目つむり


 数日前に、近くの公民館の育児サークルに遊びに行ったとき、アンパンマンの人形があって、手を動かすと、目の表情が変わる。開いたり閉じたり泣いたり笑ったりするのだが、ウィンクするというのもあって、子どもはそのウィンクが気になるらしく、しきりに真似して、片目をつむっては (でも両目とも閉じてしまうんだけど) その顔を見せにくるのだった。

 雨あがりの庭はみどりがきれいで、あやめの花はひとつめがしぼんでふたつめが咲いている。よくみると、そこらじゅうを、なめくじの子どもが這っている。そろそろ梅雨になるんだろう。

 数年前に亡くなった詩人の多田智満子さんの俳句を、何かで見かけて忘れられないでいる。  「舞へや舞へ片目つむりて蝸牛」

 きっとこれは、子どもの頃に、かたつむり、と、かためつむり、が頭のなかで結びついてしまったのだろう。いま言葉を覚えはじめた私の2歳半の子どもの頭のなかでも、あれこれの言葉はいろんなふうに戯れているみたいで、たのしい。

 「舞へ舞へ蝸牛 舞はぬものならば 馬の子や牛の子に 蹴ゑさせてん 踏み破らせてん まことにうつくしく舞うたらば 華の園まで遊ばせん」
 「遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけん 遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動(ゆる)がるれ」
 などの、『梁塵秘抄』の歌謡を、たちまち思い出すけれど。

  緑濃きこの遊星に生まれきてなどひたすらに遊ばざらめや (多田智満子)

 ひたすらに、言葉と遊んだ詩人だったろうか。彼女の詩も、ユルスナールの翻訳などの仕事も好きだった。一番好きなのは「十五歳の桃源郷」というエッセイだが、それについてはまた。