音無き火花


 1日じゅう雨。この雨はしばらく続くみたいだ。午後、子どもの髪を切る。男の子は簡単でいい。暴れるかと思ったけれど、おとなしくしていてくれた。そういえば薬も泣かずに呑んでくれて、ずいぶん成長している。夜と朝に咳が出て、咳き込むついでに嘔吐したりしていたけれど、その咳もほとんどおさまった。

 歌人の近藤芳美氏が21日に亡くなったという。93歳。
 この数年、名前を知っていたり作品を好きだったりする詩人や歌人が次々亡くなっている。ふだんは忘れているけれど、詩歌をものする人たちへの信頼というのはあって、それはもう好き嫌いをこえるものとしてあって、その信頼に支えられて、生きていたりするのだと、亡くなられてみると、思い知らされる感じだ。
 自分たちの前の世代が紡いだ言葉に養われて生きてきたのに、その前の世代が消えていく、というこの心細さ。

ものぐらく人行く上に降りて居る鉄切断の音無き火花 (近藤芳美)

 この歌が好き。もう十数年も前のことだけれど、はじめてこの歌を見たとき、子どものころに、母に連れられて町を歩いていたときのことを思い出した。汚れた町工場が並んでいる通りで、建物の2階で火花が燃えていた。はじめて見る鉄切断の火花に心を奪われながら、母に手を引かれて歩いたのだった。きっとこの歌がなかったら、思い出されることはなかった記憶だ。

 詩歌もまた、「鉄切断の音無き火花」なのだと思う。そのような言葉が欲しい。そして、子どものとき町工場で見た火花に心を奪われたように、心を奪われてしまいたい。