古着の話


 近所で子どもの古着を一抱えもらう。小さい女の子の服。夏にフィリピンに行く人たちにもっていってもらうことにする。ごみの山の学校の生徒たちのクリスマスプレゼントか、植林のほうで売って苗木代にしてくれるだろう。少し汚れが目立つシャツは、うちの子どもにもらった。今のところ女の子のものを着せられても文句を言わない。「キティちゃーん」と、うれしそうにしている。

 街にいく用事のついでに、知人の老夫婦のところに久しぶりに寄ると、娘が送ってくれた古着があって、自分たちが着れないものを捨てるのはモッタイナイし、着れたらもらって、というので、もらう。しばらく夏のTシャツに困らない。
 それからおばさんが出してきたのは、別のところから、柄がかわいいから、何か袋でもつくろうか、ともらっておいたというワンピース。「でも、もう針仕事もしんどいし、何かに使うなら、もっていって」。見ると、70年代頃に若い女の人が来ていたようなワンピースが10着ほど。流行おくれも30年たてばレトロである。ピンクや赤の花模様、幾何学模様は、なつかしいような、かえって新鮮なような。
 ふいに、おばさんが言った。「これ、あんた着れるわ、あんた着なさい」。

 ということで、もらって帰った。20代の頃は、ピンクだの花模様だの、絶対恥ずかしくて着れなかった。今もそうだが、破れたGパンにぶかぶかの男物のシャツを着ているぐらいが落ち着いたし、かわいいスカートなんかはいた日には、かえってみじめで泣けてくるようだったのだ。
 それがこの年になると、へんなこだわりが消えていくようではあるのだ。ピンクでも花模様でもなんでもよくなってきた。もう、どうでもいいのである。「あんたのところは男の子しかいないから、お母さんが明るい服を着ないと、家のなかに明るい色彩がなくなる。華がなくなるわ。明るい色のを着なさい」とおばさんに言われて、なんだか納得したのだった。
 そんなわけで、帰ってさっそく着た。私が小さい頃、女の人たちはこんな格好をしていたなあと思う。なんだか自分が、動く「70年代」になったような感じがする。

 古着で育った。子どもの頃、着る服は、誰彼のお下がりか、母の服を縫い直したものか、だった。新しい服を買ってもらったことは数えるほどしかないが、それでも何度かは、クラスの女の子たちが着ているような服をねだって、買ってもらった。そしてその度に、つらくなった。買ってもらうのだから、喜ばなければならないのだが、やがて小さくなって着れなくなることも知っている。少しの間しか着れない洋服なんかのために、母にお金を使わせたということがつらく、みんなの真似をしたがった自分が情けなくみじめで、なんだかもう落ち込んだのだ。
 いまも新しい服は苦手だ。古着が好き。新しくても、せめて大安売りの見切り品。