水たまり


 朝、外に出ると、風が吹いていて、向かいの森の緑がさわいで、どこかの家の風鈴がなっていた。湿気を含んだ重たい風は、かすかに、台風の匂いをさせているようだった。
 子どもは水たまりに、わざわざ足をつっこんで遊んでいる。水たまりは気になるものらしい。

 小学校1年の頃だ、あたりの道はまだ舗装されていなかったから、道には大きな水たまりがいくつもあった。ある日、小さな女の子が水たまりでおしっこをしているのを見て、むしょうに自分もしてみたくなった。そのときはまわりに親たちもいて、できなかったのだけれど、何日も思いつづけて、ある雨上がりの日、だれも見ていないときに、その水たまりでおしっこをした。それはただそれだけのことなのだが、思いを果たした、という何かすっとした気持ち。もっとも1度すれば納得したみたいで、それ以後、水たまりでおしっこはしていない。
 また別のとき、今度は、犬が水たまりの水を飲んでいるのを見た。自分も飲んでみたくなった。見つかると叱られる気はしていて、学校の帰り、四つ角に大きな水たまりができている、そのまわりを何度もまわって、通行人がいなくなるのを見計らって、しゃがんで、水たまりの水を手ですくって飲んだ。あまりの土臭さにむせそうになり、涙が出て、もう2度としない、と思った。

 学校の帰りに近くの同学年の男の子と、水たまりに花びらを浮かべて遊んでいたのも、小学校1年のときだ。なんの花びらだったのだろう、季節はいつだったのだろう。きっとずいぶん長い時間、そうして遊んでいたのだ、呼ばれて顔をあげると、いつになっても帰らない娘を心配して探しにきた母がそこにいて、家に帰ってからも、私はさんざん叱られた。
 水たまりに花を浮かべながら、ぼくは、もうすぐ引っ越ししていなくなる、と男の子は話していた。それが何を意味するのかよくわからないまま、私は聞いていたのだったけれど、あの日以来、あの男の子の姿を見ない。