ワーキングプア


 他人事とはとても思えなかった。昨夜のNHKスペシャル「ワーキングプア」。働く貧困層の実態リポートだ。
──日本で今、「ワーキングプア(働く貧困層)」と呼ばれる人々が急増している。 働いているにもかかわらず、生活保護水準以下の収入しか得られない人々で、その数は全 世帯のおよそ1割の400万世帯、あるいはそれ以上とも見られている。

 ハローワークに行って、会社を紹介してもらっても、面接を受けに行こうにも電車賃がない、というのを見て泣けてきた。貧乏人は就職もできないのか。たぶん、今は学校にも行けないだろう。

 学生の頃、自活していた。自給500円で、月100時間働いても5万円。アパートの部屋代が15000円。授業料を払うために15000円を貯金して、光熱費が5000円として、残り15000円。どうやって暮らしていたんだろう。食事付きのバイトだったから、1日1回は何か食べれた。バイトのない日は、パン屋でもらってきたパンの耳か、スーパーの裏で拾った野菜屑をスープにしたものを食べていた。電話は止められていることのほうが多かったし、着るものは他人のおさがりをなんでももらった。何冊か本を買ったら、もう何にもお金がなかった。

 夜中に黒い服を着て鎖を鳴らした若い女の子たちに取り囲まれて、「金を出せ」と恐喝されたとき、財布のなかに1円しかなくて、「これでどうやって生活するん」と驚かれたことがあった。「どうしようか」というと「お姉さんもたいへんじゃねえ」と同情されて解放された。貯金通帳のなかの数千円は見逃してくれた。

 授業料は滞納ばかりしていて、掲示板には、何ヶ月も私の名前が貼り出されていたけれど、それでも年間の授業料が20万円ほどだったから、まだ何とかなった。今みたいに高くなったら、とても払えない。家賃を滞納してもゆるしてくれた大家さんにも感謝だ。ときどきごはんを食べさせてくれた人たちにも。
 私は就職したことがない。みんなが就職活動している頃、その日暮らすためのバイトに追われていた。就職活動するにはバイトをやめなければならないし、バイトをやめたら暮らせない。どうすれば就職できるのか、皆目見当もつかなかった。
 それからずーっとフリーターだったから、正社員や正職員との、嘘のような賃金格差の切なさは骨身に沁みている。あるとき「アルバイトの使い方がひどいなあ」と一緒に仕事していた正職員にもらしたときに、「アルバイトに人権なんかないよ」と言われた。一生アルバイトでいよう、と思った。「人権なんかないよ」と言って、平然としていられる側の人間にはなりたくないと思ったのだ。
 女だったし、まだ若かったし、衣食住に多少の、もしかしたらかなりの不自由はしても、みじめだともつらいとも思ったことはなかった。あんな暮らしをしていたのに、学生の頃には韓国や中国に行ったし (帰国したら授業料が払えなくて大学を休学したが)、年収100万くらいで東京で暮らしていたときにも、フィリピンのゴミの山の学校を支援する活動をすることもできた。欲しい本が買えないのは悲しかったが、道でロシア文学全集を拾ったりした。

 テレビを見ながら、同じワーキングプアでありながら、自分がどれだけの幸運に恵まれてきたかを思ったが、それにしても骨身にこたえる番組だった。思えば、13歳のときから、あんなにまじめに働いて、つらい肉体労働を続けてきた私の父も、いまや月6万ほどの年金で、ひとり暮らしだ。貯金ももう、葬式代くらしか残っていないだろう。残っていればいいが。
 わが家の家計も火の車。火の車ながら、なんとか生活できているのがまったくもって不思議だ。

 「今は戦争もなくて、あんたたちはいい時代に生きられてしあわせだ」と親たちの世代に言われながら育ったけれど、先日判決の出た認知症の母親を殺した事件も泣いたけれど、なかなか残酷な時代になってきているなあ、と思う。