泥水の海の記憶


 あの日の朝、弟が「姉ちゃん、雨漏り、雨漏り」と興奮して、鍋を抱えて2階にあがってくる声で起きた。12歳の夏の台風の朝。雨漏りの音があちこちでいろんな音をたてていると思いながら起きると、雨漏りは1階にまで達していて、玄関に入り込んでくる泥水が、ごぼっごぼっと音をたてていた。床下浸水は毎年のことだったけれど、こんな激しい水の上がり方ははじめてで、父と母は畳を上げはじめた。私と弟は教科書や制服を二段ベッドにつみあげて、その上からシートをかけた。雨漏りで押し入れのふとんもびしょぬれだった。水があがってきた。
 心配して様子を見にきた叔父に連れられて、私と弟は祖母の家に避難することになった。腰まで水につかりながら歩いた。何度も転んだので全身びしょぬれだったが。しばらく歩くと水はなくなり、ただの雨の日だった。振り返ると、私たちの家のある一画だけが、泥水につかっていた。「いままでこんなことなかったのに」と言うと、「向かいの田んぼが埋め立てられたせいやろう」と叔父が言った。
 泥水の海のなかで、家はとてもあわれでみすぼらしい姿に見えた。泥水の海に浮かぶ廃船のような家を見ながら、あの家のなかで、父と母は、何を守ろうとしてたたかっているのだろうかと、思ったことを、おぼえている。壊れるものは壊れてしまえ、と思う乱暴な気持ちの一方で、こんなに痛めつけられてもそれでも何かを守ろうとする人間の営みの不思議に、心打たれていた。父母は、あの浸水した家に残って。

 翌日には水はひいたけれど、屋根の瓦は半分とばされていた。上げるのがまにあわなかった畳が何枚かと、雨漏りにやられた布団が何枚か駄目になった。父は瓦を拾い集め、自分の家は後回し、近所の家の屋根から修理してまわった。片付くまで何日もかかり、1週間ほどは、祖母の家から学校に通った。汚い水のなかを歩いたせいだろう、私は体じゅうに湿疹ができて、しばらくそれがやりきれなかった。

 それにしても、このところの豪雨災害は、ひどい。