夏の声


 早朝4時半くらいになると、いっせいに鳴きはじめる。鳥の声、蝉の声、それからひときわきれいな高い声でリーリーリーと鳴いているのは何だろう。向かいの森の梢の高いところで鳴いている。その声がもうとてもきれいで、うっとりする。森は1日じゅう夏の声。

 久しぶりに晴れたので庭仕事をする。この雨の間に、庭の緑はひとまわりもふたまわりも太って、足を踏み入れる場所もない。そろそろ花の終わりのあじさいや、これから咲くシュウカイドウやシュウメイギクの、広い葉っぱが茂り放題なのだ。ずいぶん刈った。それから草ひき。そこらじゅう蜘蛛の巣だらけで、何度も顔をつっこんだ。カヤで指を切った。
 マリーゴールドは3つのうち2つはまだ生きている。が花は咲いていない。1つはもうだめ。枯れたはずの金柑の根元から新しい枝葉が出ている。でもこれは接木しているので、今出ているのは、金柑ではないような気がする。では、なんだろうか。もうすこし育ってみてください。
 緑のなかを這いまわりながら、「草莽(そうもう)」という言葉を思い出した。それからかの子の短歌。

見廻せばわが身のあたり草莽の冥(くら)きがなかにもの書き沈む (岡本かの子)

 草莽を辞書で引いたら「民間、在野」と出てくるが、私は長い間ずっと、文字通りに「草むら」のことと思っていた。
 学生の頃、かの子の小説『生々流転』を読んだ。女乞食の話で、とても圧倒された。なんだか台風の風を思い出すようだったと思って、いまぱらぱらめくってみたら、こんなところに線が引いてある。

「うつらうつら風のことを考へています。ふだん無いもののやうに透き通つて湛へてゐながら、一たん吹き出すと、丘の木も野づらも生き上つて狂ふばかりに魂を喚(よ)び出される。」

 雪柳の枝に蝉がとまっていて、生きているのかしら、抜け殻かしらと触ってみたら、びっくりした蝉が飛びあがって、アスファルトの道に降りた。そのときにミーミーとひと声ふた声鳴いたのだ。空から一羽の雀が、蝉をめがけて降りてきて、くわえて、道の端に運んでいって、つっつきまわして、食べた。
 蝉、ごめん、触らなければよかったね。