迷子


 久しぶりに「となりのトトロ」をテレビで見た。子どもがなんだか大喜びで、めいちゃんが笑ったり叫んだり走ったりする度に、笑ったり叫んだり走ったり、うるさいことだった。さつきちゃんはいいお姉ちゃんだなあ、と見る度すこし胸が痛い。私の弟もよく迷子になったが、私はあんなふうに弟を探したことは、ない。

 いつだったか、母が知人の家を訪問している間、私と弟は近くの公園で遊んでいるように言われた。公園にはよその知らない子どもたちがいて、人見知りの私は、みんなから離れてひとりでジャングルジムにのぼっていたが、弟は他の子どもたちに混じって砂場あたりで遊んでいた。
 弟のことを見ているように、私は母から言われていたはずだった。たしかに私は弟を見ていた。弟が知らない子どもたちと一緒に公園を出て、橋を渡って、川の向こうに行ってしまうのを、ジャングルジムの上から見ていた。
 母が公園に迎えにきたとき、弟はいなかった。無責任な姉を叱っている暇もなかったのだろう。母は自転車の荷台に私を乗せ、公園から橋を渡って川の向こうまで自転車をこいだ。あたりの道という道を走り回った。弟は見つからず、母はついに警察署を訪れた。すると、保護された迷子の男の子が昼寝をしていると言われ、それが弟だった。外に出ると、見知らない風景のなかで、夕焼けがはじまっていた。
 弟の姿がどんどん小さくなって見えなくなるのを、私は見ていた。私は弟を見ていた。でも弟が、私たちと一緒にいなければならないのだとは、思いつかずにいたのだった。

 母が死んだときに17歳だった弟は、それから家を出て、何年も行方がわからなくなり、忘れたころに帰ってくるということを繰り返した。迷子になりっぱなしのような弟だが、母がいなくては、もう誰も探しに行く人もいなかった。弟も(そして私も)、母のいない家に帰ってみても、また出て行くよりしょうがなかった。