移転の話

 ゴミの山の学校の移転の話。
 フィリピンのゴミの山、パヤタス地区のゴミ山を拡大するために、私たちが支援するフリースクール「パアララン・パンタオ」(パヤタス校)を含む周辺住民265世帯が立ち退きを迫られている。立ち退きの条件について、当局と折り合いがつかず、交渉は難航しているようだ。学校も近くの別の場所に(候補の場所はあるらしい)、移転することになるかもしれない。子どもたちがいる限りは、どのようなかたちででも、学校は続けることになるだろう。
 
 立ち退きの話は、10年前にもあった。そのときは、立ち退くか土地を買い取るか、という選択で、200世帯余りが住むコミュニティの土地が日本円で数千万円ということで、ただもう唖然とした。買い取りなんてもちろん無理な話で、もしかしたら学校がなくなるのだろうかと思い、ちょうど、支援をはじめた翌年だったけれど、もしも学校がなくなったら、子どもたちはどうなるのだろう、と胸がつぶれそうな気持ちがした。支援してくれた人たちに、せっかく支援してもらったのに学校がなくなるという報告をしなければならなくなったらつらい、とも思った。
 そのときに、10年来マニラのスラムで活動されていた谷崎さんに、言われたことが、今も心に残っている。「全部はできませんよ」「それぞれの立場で、できることをすればいいんだと思いますよ」「もし学校がなくなっても、せっかく支援してもらったのに実らなかったと考えるのではなく、支援してもらったおかげで、半年でも一年でも、子どもたちが勉強をつづけられたことを喜ぶべきですよ」
 あのときの谷崎さんの言葉が、それからずっと私の支えだ。
 
 立ち退きの問題は、その後立ち消えて、学校もその後10年間存在しつづけているし、住民たちも暮らしている。あのあと、2000年にゴミ山が台風の雨で崩落して、数百人が亡くなるという惨事のあとで、多くの周辺住民が移転を余儀なくされたけれど、学校周辺は残っていた。ゴミの山を閉鎖するという噂と、ゴミの山を拡大するという噂が交互に流れてくるような感じだったけれど、とにかくゴミの山は日に日に大きくなりつづけていて、もう立ち退きは避けられないかもしれない。
 
 「全部はできないよ。でも何かはできるかもしれない。できることをすこしずつやっていこう」と、レティ先生と話した夜のことなど、思い出す。10年前の立ち退きの話の翌年ぐらいのこと。学校の天井裏から猫の死骸が発見されて、なんともいえない臭いがしていた夜だった。