そしてすべての悲劇は

 昨日、北朝鮮が地下核実験を実施した、という。暗澹たる気持ち。核を扱って、しかも核兵器を扱って無事でいられるはずがない、と思う。
 ちょうど広島の被爆者団体が、北朝鮮被爆者の調査に出向こうとした矢先だった。北朝鮮が核実験の発表をしたために、延期になった。そうして実験は行われたのだが、またヒバクシャが増えるのではないだろうか。つくづく愚かなことと思う。
 アメリカも中国もソ連も自国の核実験のことは、どう思っているのだろう。核が生み出したヒバクシャのことは。
 どこかで核実験が行われたり、劣化ウラン弾が落とされたりする度、明日私や親しい人たちがヒバクシャにならない保証はなんにもないなと思う。
 核兵器なんか作り出したら、権力はもう悪魔の手に落ちているんだと思う。
 
 「なんというひどい戦争にはまりこんでしまったのだろう。誰もが人生を狂わされ、どんなことも一瞬にして終わってしまうかもしれない。この戦争にかかわりを持った誰ひとりとして、いつどこで誰に会えるか確信が持てない。誰かからよろしくと頼まれたら、一分も無駄にはできない、明日ではもう遅すぎるかもしれないのだから。(略)私は生きていたい。でもそれよりももっと、大声で泣き叫びたい。」 
 アンナ・ポリトコフスカヤの『チェチェンやめられない戦争』をぱらぱらめくっていた。こうして殺されてしまったあとではいっそう、このあとがきの言葉が胸に迫る。彼女が取材したチェチェンの人々の運命は、そのまま彼女自身の運命になってしまった。あとがきは次の言葉で終わっている。
 「そしてすべての悲劇はいつでも私たちを待ち構えている。」