フラッシュアース

 午後、近くの運動公園に遊びに行った。子どもはなんだかひたすら走り回り、私は道に落ちていた栗を拾った。13個。子どものためにはどんぐりを7つ。
 もう帰るよ 、と呼んでも、呼ばれているのがわかっているくせに、わざと反対側に向かって走り出す、ということを、子どもはするようになり、悲しいかな、それを追いかけていく体力がない。知らん振りして歩き出したら、追いかけてくるだろうと思ったが、なかなかどうして、てこずらせてくれるのだった。
 さすがにくたびれたらしく、早く寝た子どもは、夜中に寝覚めて泣く。寝ぼけてわんわん泣いたのが、ふいに冷静な声で、「はなみず」などというのがおかしい。
 
 子どもが寝たあと、フラッシュアースというサイトで遊んでいた。http://www.flashearth.com/
 世界地図の見たい場所を拡大して見られるというもので、この家のあたりもはっきり見える。かと思うと、実家のあるあたりは、拡大できなかったりして、場所によって違うようで、どういう基準になっているのかよくわからないが、見はじめると夢中になってしまう。
 思い立って、フィリピンのゴミ山のフリースクールを探したら、すぐに見つけられた。
 北緯14度42分54 東経121度6分16
 湖が近くにあって、ゴミの山は尻尾の大きい魚か砂時計のようなかたち。学校は砂時計のくびれのところ。地図を見るだけでも、立ち退きはやむをえないだろうと思われるような場所。これまでも、事故や立ち退きで、ずいぶんたくさんの集落がゴミのなかに消えたのだ。
 ゴミの山は私が最後にのぼった2002年頃とはずいぶん様子がちがっているのが小さな写真からもみてとれる。山の上は平らに均されて、空からはゴミの山というより、運動場のように見える。トラックも見える。 
 どこでジプニーを降りて、どの道を通って、道はどんなふうにゆがんでいて、地図をたどりながら、そんなことのひとつひとつが思い出されて、なんだか泣きそうになった。学校の横の椰子の木、いまは舗装されているけれど、舗装されていない頃、雨季になるとぬかるんだ道。保護区域で立ち入り禁止なのに、なにかの拍子に入り込むことができた美しい湖。夕暮れ、ふもとのスラムを歩いた。子どもたちの遊ぶ声、やせた犬、入り口にろうそくが灯っていた喪の家。そこに行けばいつでもまた会えるような気がしていた光景のひとつひとつも、やがて土地ごと消えてしまう。
 それ以上は拡大できないぎりぎりまで大きくして、しばらくゴミの山のあたりをさまよっていた。