ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

 「ゆあーんゆよーんゆやゆよん」と子どもが口ずさんでいるのは、中原中也の「サーカス」である。友川かずきが、中原中也の詩を歌っているCDがあるのだが、子どもがそれを気にいって、そればかり聞いているのだ。
 机の上に小さなプレーヤーがあって、私はそれを使うのだが、子どもは使い方を覚えてしまった。やってくると机にのぼり、CDをかける。私がちがうCDを入れていると、その友川かずきのを、横の本棚に数十枚積み重ねてあるCDのなかから探し出してきて、「これだ」と言ってかけ替えるのだ。なんだかあっけにとられてしまう。なんでこれがそんなに好きなわけ?
 中原中也の詩は好きである。友川かずきが歌っているのも、たまに聴くのはいいと思う。でも毎日はかんべんしてほしい。どこかに隠してしまおうか、と言うと、お気に入りなのにかわいそうだ、と夫が言う。だいたいあんたがへんなCDもってるから。それはそうだけど。「ゆあーんゆよーん」ならまだいい。でも「よごれっちまったかなしみに」とか、まだ3歳にもならない子どもに、歌われたくない。
 そう言うと、よごれっちまったかなしみに、恋の花咲くこともある、と夫は言う。もちろんそうだけれどもさ。
 そんなわけで今日も「ゆあーんゆよーんゆやゆよん」。子どもはこれをブランコの歌だと思っている。
 
 昨日の夕方、近くの運動公園で、まだこわくて漕げないが興味はあるらしく、ブランコにすわって遊ぶ。すべり台は大好き。走るのも好き。追いかけるのが大変なほど。散歩道で、私は栗24個拾う。道には数個しかなかったのだが、すこし斜面をのぼってみると、けっこう落ちていた。日に日に紅葉がすすんでいる。
 
  サーカス   中原中也

幾時代かがありまして
  茶色い戦争ありました

幾時代かがありまして
  冬は疾風吹きました

幾時代かがありまして
  今夜此処(ここ)での一(ひ)と殷盛(さか)り
    今夜此処での一と殷盛り

サーカス小屋は高い梁(はり)
  そこに一つのブランコだ
見えるともないブランコだ

頭倒(さか)さに手を垂れて
  汚れ木綿の屋蓋(やね)のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

それの近くの白い灯が
  安値(やす)いリボンと息を吐き

観客様はみな鰯
  咽喉(のんど)が鳴ります牡蠣殻(かきがら)と
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

屋外(やぐわい)は真ッ闇(くら) 闇(くら)の闇(くら)
夜は刧々(こふこふ)と更けまする
落下傘奴(らくかがさめ)のノスタルヂアと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん