地球儀

 地図を見ると、「てんきよほう」と子どもは言う。日本地図は確信をもって「てんきよほう」と言い、世界地図はたぶんほかに呼び方を知らないから「てんきよほう」と言う。テレビの天気予報を見ている子どもを見ていて、ずっと昔の祖父母の家を思い出した。祖父が生きていたから5歳より前、夕飯のあとに天気予報を見ていたことを覚えている。とすると、来月には3歳になる私の子どもの記憶にもそろそろ残るかもしれないわけだ。
 たぶん、日本地図は、私もテレビの天気予報で理解した。世界地図は、いつ頃どんなふうに知っていったのだろう。世界の国の名前の暗記に夢中になったのが小学校の高学年の頃。地球儀を買ってもらっていた。ベトナムの名前はふたつ覚えた。もう思い出せないが北ベトナム南ベトナム。長い国名をせっかくふたつ覚えたのに、やがてひとつになったのは、ベトナム戦争が終わったのだった。私の持っていた地球儀には、ふたつのベトナムが記載されていた。ひとつの国が点線で南北に区切られていた。その地球儀はもうとっくにないけれど。
 フィリピンのゴミの山の学校を2度目に訪問したとき、クリスマスのプレゼントに地球儀を買っていった。そのときの地球儀にはソ連邦があったが、まもなくソ連邦は消えてしまった。
 地球儀が欲しい。でも今買っても、子どもがそれを使う頃に、国の名前が減ったり増えたりしていては困るので、もっと大きくなってからにしよう。それでも、国境線はどんなに変わっても、地球儀はやはり地球儀のかたちをして、くるくるまわっているだろう。くるくるまわる地球儀が欲しい。 
 
 秋の部屋になにもなきなり 地球儀の大き玉ひとつひそまれるなり (葛原妙子)