「旅の重さ」

 テレビで吉田拓郎かぐや姫つま恋コンサートの特集をやっていて、子どもを寝かせるのもそっちのけに、見てしまった。吉田拓郎かぐや姫中島みゆきも、中学から大学にかけての時期、ギターを弾くような友人たちが歌っていたから聞き覚えはあるのだ。あれこれのなつかしさと少しの胸の痛さ。
 子どもは興奮して、布団の上で飛び跳ねたり拍手したり「びよーんびよーんびよーん」と節つけて歌っていたりした。途中ふとチャンネルをかえると、別の番組ではちょうど三輪明宏が「愛の賛歌」を歌いはじめるところで、はじめて聴いたけれど圧倒された。
 学生の頃、友人にエディット・ピアフのテープをもらったことを思い出した。彼がその頃ときどき口ずさんでいたのが、吉田拓郎広島弁の歌だったが、(「唇をかみしめて」というタイトルだとはじめて知った。)、夜に自転車をこいで、だれかれの下宿を行き来していた頃のことが、いきなり蘇ってきて、すこし狼狽した。
  ええかげんなやつじゃけえ、ほっといてくれんさい。
  あんたといっしょに、泣きとうはありません。
という、あの歌を聴いたとき、私ははじめて、広島弁に好感をもった。広島弁なんてそれまでやくざ言葉にしか聞こえなかったのだ。(たぶんバイト先のパン屋のおじさんが「ほいじゃけえのお」と怒鳴りだすときの広島弁が強烈だったのだろう。)
  ひとが好きやけね ひとが好きやけね
  ひとがおるんよね ひとがそこにおるんよね
のリフレインは、泣ける。
 
 最後の歌が「今日までそして明日から」。
 「旅の重さ」という映画の主題歌だった曲だ。家出した愛媛の東予のほうの16歳の少女が、遍路道に沿って高知まで旅をする話。旅の途中にいろんな経験をする。場末の映画館で痴漢にあう場面もあるが、あの映画館は、私が5歳まで住んでいた家から近かった。もうとっくに潰れているが、ポルノ映画を上映していた映画館だった。
 大学の横の古本屋でたまたま買った文庫本(「旅の重さ」素九鬼子)を読んだのが最初。それが映像文化ライブラリーで上映されていたので観にいった。愛媛の田舎の田んぼ道を、主演の高橋洋子が、体操着のような格好でリュックを背負って歩いていく。そのときに流れているのが、
  わたしは今日まで生きてみました
 という一度聴いたら忘れられないあの歌だ。
 映画はかれこれ3度くらいは見ていると思うのだが、また見たくなった。16歳の少女の話を、10代の終わりに観たということもあるんだろうが、四国の風景のなつかしさもあって、私にとっては、自分の体のどこかとつながっているような気のする映画だ。
 旅に救われる、ということはある。死にたくなったら旅に出るに限ると思っている。何はともあれ自分の足で歩いてみれば、新しい地面はあらわれてきたりする。たよりなさだけがたしかさであるような、旅ということ、歩くということ、生きてみるということ。