餓死

 「私達の最後が餓死であらうといふ予言は」という詩のフレーズが思い出されたのは、3歳の男の子が餓死させられたというニュースのせいだ。餓死という言葉に血の気が引く。ちょうどいま読んでいるのが『強制収容所グーゼンの日記──ホロコーストから生還した画家の記録』という本で、画家が描いた収容所の囚人たちのスケッチもある。飢えて骨と皮ばかりの異形の姿に戦慄するが、餓死させられた3歳の男の子には家庭が絶滅収容所だったわけだ。なんてことだろう。
 あと一週間もすれば私の子どもも3歳になる。いま12キロある。これがたった7キロになったら、と思うとぞっとする。
 
 人間性がすりきれてゆけば、絶滅収容所はどこにでも出現するだろうが、魑魅魍魎の類にならず、聖人とは言わないまでも、人間らしい人間でありつづけるというのは、もしかしたら、そんなにたやすいことではないのかもしれない。いじめ自殺のニュースもつづいているけれど、いまや子どもだってたやすく魑魅魍魎の類になる。そして、いじめられた子どもよりも哀れなのは、たった10歳や15歳で、人をいじめたり傷つけたり、死に追い込んだりするものになってしまった、いじめた側の子どもたちの魂だろう。そしてそういう子どもたちの先輩や仲間であるような大人たちの。
 いじめる側にまわってしまったものたちの魂に救いはあるだろうか。ずるく生きのびることは、あるいはできるかもしれなくても。
 
 虐待の理由が3歳になってもオムツがとれないからというのをみて、ああ、そういえばトイレトレーニング、と久しぶりに思い出した。今年になって子どもは、アンパンマンおまるには何度かすわったが、一度も成功していない。アンパンマンの音楽を聴くだけ。排泄の事後報告も事前報告も最近はめったにしてくれないが、生後2か月から1歳近くまで自分で排泄できないので1日おきに浣腸で出させていたことを思えば、自力で出してくれるだけでありがたい。いまだにウンチのにおいが漂うと、ばんざい、と思うし、子どものおしっこでふくらんだオムツには、ときどきこっそり頬ずりをする。あのふくらんだ感じが幸福なのだ。トイレトレーニングのことは、ときどき思い出して試みるが、最近はすっかり忘れていた。アンパンマンおまるはそろそろ埃をかぶっているだろう。
 そういえば、食事のときも、いまだに自分でスプーンをもたないで、食べさせてもらっている。それ以前におとなしく椅子にすわっていない。口のなかをいっぱいにするとおもちゃのほうへ遊びに行き、のみこむと、また食べに来る。遊びに夢中になると食事を忘れるので、何度も呼ばなければいけないが、無理にすわらせておくこともしない。
 思えば、しつけ、なんて考えたこともなく、手を抜きっぱなしの育児ではあるんだが。子どもが笑って過ごしてくれていれば、それでいいような気がしている。
 
 「私達の最後が餓死であらうといふ予言は」というフレーズは、中学生のときにその詩を読んで以来、忘れられない。だから、自分の人生の最後が餓死であるかもしれない覚悟はしておこうと思っているが、3歳の子の餓死のニュースは酷い。餓死するのは、姥捨て山の爺婆ときまっているのであって、子どもに食べさせるためにこそ、自ら捨てられにいくのではないか。
 
    夜の二人   高村光太郎
 
私達の最後が餓死であらうといふ予言は、
しとしとと雪の上に降る霙まじりの夜の雨の言つたことです。
智恵子は人並はづれた覚悟のよい女だけれど
まだ餓死よりは火あぶりの方をのぞむ中世期の夢を持つてゐます。
私達はすつかり黙つてもう一度雨をきかうと耳をすましました。
少し風が出たと見えて薔薇の枝が窓硝子に爪を立てます。