クリスマスケーキ

クリスマスケーキ。
25日の夜になったら半額になる、というのをパパが探しに行って、一時間半後に、見つけて帰ってきた。
半額ケーキは、これで何年目だろう。結婚してからずっとじゃないだろうか。なかなか見つけられなくなったし、来年はもう、こんなことやめよう、と帰ってきてパパは言うんだけど、去年もそう言っていた。
最後に1個、残っていたケーキらしい。もうひとつあったのは、店のバイトの男の子があがるときに、パパと同時に買って帰ったらしい。
「これ、もしかしたら、もうひとりのバイトの女の子が、買って帰るつもりだったかもしれない」という。
とてもなごりおしそうな目で見ていた、という。

その目が、自分のものであるような気がする。

あと30分か1時間して、バイトをあがるときには、半額ケーキをもって帰ろうと楽しみにしていたかもしれないクリスマスのバイト。
客にもっていかれては、普通のバイトの日と変わらない。

クリスマスイブは、夜中まで、ニュース23の特集を見ていた。
ぎりぎり以下の生活について。他人ごとではないなあ、と思うのだ。
追い詰められた衣食住の細部も、追い詰められてしまう精神についても、ところどころ、私は身に覚えがある。

なぜ、私たちにいま、屋根と米と、クリスマスケーキがあるのか、それはもう、本当に奇跡のようだ。

年間の餓死者56名という。
高村光太郎の詩を思い出す。大正時代の詩。中学生のころに読んだときには、餓死なんて絵空事のようだったけれど、生きてみるにつれて、現実味を増してくる。



夜の二人 高村光太郎

私達の最後が餓死であらうといふ予言は、
しとしとと雪の上に降る霙(みぞれ)まじりの夜の雨の言つた事です。
智恵子は人並はづれた覚悟のよい女だけれど
まだ餓死よりは火あぶりの方をのぞむ中世期の夢を持つてゐます。
私達はすつかり黙つてもう一度雨をきかうと耳をすましました。
少し風が出たと見えて薔薇の枝が窓硝子に爪を立てます。
                 『智恵子抄


ちびさん、ケーキにはろうそく、と言い張る。
食欲も出てきたようで、ぱくぱく食べた。