アンパンマンのお部屋と診断書

昨日の午後、学校を早退して療育へ。診察の予約の日。
3月に、こどものいじめの問題で予約を入れたとき、担当のY先生(女の先生)がすぐに折り返し電話をくださったときには、ほんとにありがたかった。
さて、1年数か月ぶりの診察なのでしたが、いつものアンパンマンのお部屋で、子どもは、Y先生とすこしお話したあと、大人たちが話している間は、部屋の一角で、ひとりで遊ぶのだが、今までと勝手が違う、と思ったのは、それは私の子どもが大きくなったからで、玩具のかわりに、先生、ことわざ辞典を出してくれる。

あれこれの経過報告。
いじめのことは、2か月たって解決している。大人が解決に向けて動くということ、先生たちがチームで対応するということ、このあたりがポイントだと思ったこと。それから、子どもには、目を背けたり、ただ忘れようとするんじゃなくて、一度しっかり思い出して、それから捨てるようにしようと、言ったこと。
すると先生、ことわざ辞典めくりながら、でも退屈で転げまわっている子どもに向かって、
「トラウマの解消には、手記を書くのがいいですよ」
と、大人に言うように言う。子ども、人の話を聞いているのか聞いていないのかわかんない、よそ見しながらのよろしくない態度で、でもうなずいている。
ああそうか、と思う。もう心の問題は、きみが自分で、引き受けていかなきゃいけないことなんだ。
「よかったです。心が晴れました」と言ってもらった。

成績表もノートの文字も見てもらう。算数は簡単な足し算引き算のミスが多く、文字は漢字よりひらがなの乱雑さが目立つ。
「簡単なことに対してのモチベーションが低いんでしょうね。」
言われてみればたしかに。こんな簡単なことがなんでできないのかと、思うんだけれども、そうか、簡単だからできないのか。
ちょっと目から鱗

診断書書いてもらう。アスペルガー症候群という診断名は、早晩使われなくなるでしょう、と、広汎性発達障害の診断名。あれこれの特性があり、集団生活において、配慮が必要です、と。

いつまでもなおらない舌なめずり皮膚炎の薬も出してもらう。

廊下に出ると、幼稚園に入る前に、療育のクラスに通ったときに一緒だった、Dくんのママがいた。久しぶりなので、すこしおしゃべり。Dくんは支援級の3年生。去年、片方の靴だけがいつも真っ黒に汚れていて、なぜかわからなかったのだが、女の子に、片方の靴だけをいつも踏まれていたのらしい。片方だけ。
なんとなく、その女の子は私のような気がする。弟をいじめてた子どものころの。

過去も未来も、消えてしまった景色も、まだ来ない景色も、いろんなことがつながっていると思う。あるようなないようなつながりの、でも、この生々しさは。

受付のお姉さんのひとりは、近所の人で、顔見知りで心強かったのですが、その人から、もう高学年になるから、次からは、別の施設に行くようにと言われる。ここは療育センターの別館の扱いで、幼児と、低学年までの子どもが対象で、それ以上の年齢になると、情緒面でもちがってくるし、ここではスタッフも不足していて、対応できるようになっていないので、直接、本館の施設のほうに診察の予約を入れてください。そのときはカルテをこちらからまわすから。

たしかにそれはそういうことだとわかるし、そうするしかないのですが、残念なことだなあ。子どもはY先生が大好きで、Y先生とお話したい。
今日が最後なら、もっとたくさん、お話させてあげればよかったな。

最初にY先生が、子どもにあれこれ聞いてくれる。たとえば好きな科目の話、社会はいまどんなことを習っているかとか、算数はどうかとか。すると、子どもは次々答えるが、そのやりとりのテンポがすごくいい。先生が子どもにあわせてくれるのだろうが、お話しながら、この子どもがどんどんうれしくなっていくようなテンポなのだ。図形と角度の話で、もりあがっていた…。

子どもにとって、こういうふうにお話できる大人が、いてくれるというのは、どんなにありがたいことだったかしらと、思う。

「誕生日が来たら、10歳ですね。10年生きたことになりますね。生きてみて、人生はどうですか」
ってY先生は子どもに聞いて、すると子どもは、
「はい、いいです。3年生の終わりごろはちょっといやだったけど。あとはいいです」って答えていたが。
10年。たしかに、アンパンマンの診察室が似合わない年齢に、なったのはなったのだ。

どれほどありがたかったかしら。アンパンマンのお部屋。
3歳の春から6年間、どれほど支えてもらってきたかしら。感謝で胸がいっぱいになる。

「これから、もっとすばらしい人生ですよ」
って、Y先生は言ってくれて、子ども、うれしそうにうなずいていた。