「小公女」

 子どもはテレビのチャンネルを自分の気に入りの天気予報か、ディズニーチャンネルに換えると、リモコンを隠しに行く。そうやって親子でチャンネル争いがはじまったりするんだが、リモコンを取り戻しに行くのも面倒で、そのまま見ていると、ディズニーチャンネルの映画は「小公女」で、結局最後まで見入ってしまった。主人公のセーラ、ミンチン先生、小間使いのベッキー、友達のアーメンガード、なんてなつかしい名前たちだろう。
 オルコット夫人の「小公女」は、小学校1年から3年までの私の愛読書だった。学校の図書館には5冊か6冊の「小公女」があって、本によってセーラだったり、サラだったりした。それを何度も何度も読んだのだ。
 
 学生の頃、下宿にネズミが出て、台所のあたりをちょろちょろしていたとき、ネズミも友だちだったセーラのことを思い出して、ネズミも生きていかなければならないし、一緒に暮らすのも悪くない、と思って、石鹸をかじられるのもほうっていた。のだが、ある日、とてもお腹がすいて、そういえば冷蔵庫の上にクッキーがあったと、それだけ楽しみに帰りついたのに、クッキーがない。半分以上も残っていたはずなのに、かけらひとつも残っていない。ネズミのせいにちがいなかった。台所のネズミの穴をビール瓶でふさぎながら、私はセーラにはなれないな、と思った。
 
 「小公女」の映画、町で花売りをしている貧しい母娘がいて、ああ、そんな光景は、映画のなかだけでいい、と思った。
 
 昔、もう20年ほど前、韓国に行ったとき、秋だったけれど、釜山の近くの海水浴場へ海を見に行った。店で軽食をとっていたら、10歳くらいの少年が、黙って私たちのテーブルにガムを置いた。ガム売りをして家計を助けていたのだろう。ぶっきらぼうな表情と汚れてすりきれた服の袖口がいまも目に浮かぶ
 その翌年だったか、中国に行ったときは、上海のレストラン前の路上に、何か書いた紙を広げ、その上に12、3歳くらいの少年がうつむいてすわっていた。上海に乞食はいない、と通訳の人は言うのだったけれど、目の前の少年が物乞いしていることは、明らかだった。
 
 それからまた何年かして、フィリピンに行くと、ゴミ袋に入れられて捨てられていた子が、拾われて育てられていた。あのとき、5歳だった女の子の傍らで、その子が救いだされて生きていることに感動していた。心の深くが温かくなるようで、一緒にごはんを食べながら、生きることを、もう一度最初からはじめてみようと、私は思ったんだった。
 
 今日から12月、なのだが、そんなに寒くないので、まだ晩秋の感じだ。
 
 猿を聞く人捨子に秋の風いかに   芭蕉