ALWAYS

 とても久しぶりに、隣の地域の集会所の、週に1度の親子サークルに行く。画用紙にきりんやシマウマの模様の紙をはりつけて、そのほかは自由に色紙を切ったりちぎったりして貼って遊ぼう、ということをしていたが、子どもは、あれこれのおもちゃが気になって、それどころでない。ほかの子が遊んでいる車を欲しがって、泣くわ、泣いても無駄だとわかると、「かえして」だって。もとよりきみのものじゃありません。思えば、子どもに限ったことでもなく、みんなが互いに気持ちよく生きていく術を身に付けるというのは、なかなか難しいことではあるのだ。ときどき連れてこよう。ちびさん、人生は思い通りにはならないものだし、私たちには、学ばなければならないことが、たくさんあるんだよ。
 
 貼り絵は結局、家に持って帰って仕上げた。きりんとシマウマのまわりに緑の紙をちぎって貼って、そのひとつひとつに、数字だのアルファベットだのを私に書かせて、そのまわりにひよこまんじゅうみたいな車と、つぶれたひよこまんじゅうみたいなトラックと、つぶれてあんこまではみ出てしまったようなバスの絵を自分でかきこんで、「どうぶつえん、できた」とうれしそうにしている。そういえば動物園なんて、去年の春に行ったきり。また行こうか。
 
 夜、テレビで映画「ALWAYS 三丁目の夕日」をやっていたので、子どもを寝かせながら、見た。じゅんのすけ、という男の子が、最後に、ブンガクと呼ばれているおじちゃんのところに戻ってくる場面、おじちゃんにしがみついて、かたくなに首を振りつづける様子が、私の子どもが、ごはんにきらいなものがあって、食べたくないときに(最近毎日だ)首をぶんぶん振るときの様子にそっくりで、なんだか笑ってしまったけれど、子どももとっくに寝ているし、映画も終わったし、と思って布団を抜け出すと、夫は2階のテレビでその映画を観て泣いていたらしく、目を真っ赤にしていた。男の子が貧乏なおじちゃんのところに帰ってくる場面に、自分と息子の姿が重なったらしい。ああ、私が笑った場面で、泣いたのでしたか。
 「貧しさが本当である……貧しさの幸せを恋うる」という言葉をまた思った。