ピーマン

 白菜、大根に続いて、採れ過ぎたピーマンが大量に廃棄される映像を見た。鹿児島のほうらしかったが、廃棄を強いられる生産者はせつなかろうと思った。
 その翌日だったか、スーパーにいくと、3袋98円で売っていた。鹿児島の産。買って帰った。
 たくさんあるので、毎食、ピーマンが出る。しかし、子どもはピーマンをきらいである。おもちゃのトラックにのせる荷物に見立てて遊ぶときは、ピーマンもにんじんも欲しがるが、食べるのはいやだ。小さく刻んでオムライスに混ぜれば、だまされて食べることもあるけれど。
 どうせ食べないだろうな、と思いながら、口もとに炒めたピーマンをもっていったら、向こうの部屋の隅まで走って逃げた。そんなに逃げなくてもさ、と思い、でも家のなかを逃げ回るくらいなら、かわいいか、と思った。
 
 向こうの部屋、どころではなかった。小学校1年か2年のとき、休みの日のお昼ごはんにピーマンが出た。私はそれを食べたくなくて、母がいなくなったすきに、食べ残したまま、家を出た。家を出たものの、どこへ行くあてもなかったので、母に見つからないようにしながら、近所で遊んでいたのだが、暗くなったら帰るほかなく、帰ると、案の定、昼ごはんを残したことを言われた。残したピーマンを食べなければならないかとぞっとしたが、母が叱ったのは、食べ物を残したことではなくて、残したものを冷蔵庫に入れておかなかったことだ。暑い時期だったので、腐ってしまう。捨てなければならなくなって、もったいない。
 あのピーマンが捨てられた。もう食べなくていい。たちまち心が晴れ晴れとした。
 
 小学校5年の夏休みのある朝、私は家出した。夏休みの漢字の宿題を、近所の1歳上のりえちゃんに書いてもらっていたことが、ばれたのだ。自分で書いたといいはったが、信じてもらえず、嘘が通じないことに困って、家を出た。朝早い時間でまだどこにも遊びにいけない。裏山に登って時間をつぶし、それからりえちゃんのところに遊びに行き、漢字帳のことは言わずに、家出して家に帰れないことを言って、これからのことを相談した。
 りえちゃんの両親は彼女が小さいときに事故で亡くなっていて、りえちゃんの家はお婆さんと、まだ結婚していないおじさんとおばさんがいた。みんな働いていたので、昼間はりえちゃんひとりで、昼ごはんもお金をもらって何か買って、自分でつくっていた。その日、りえちゃんは私の分もお昼ごはんをつくってくれた。それが、ウインナーとピーマンを炒めたもので、でも、朝ごはんも食べていないのでお腹はすいているし、つくってもらってピーマンはいやとは言えず、我慢して食べてみると、意外においしかった。
 きっと味覚も変わっていたのだろう。私はその日からピーマンを好きになった。
 
 お昼ごはんのあと、家出した私が夜をどう過ごすか、を相談した。近くの木材置き場を遊び場所にしていて、そこで寝ればいい、ということになって、りえちゃんの家から新聞紙や、まんが本や、懐中電灯、蚊取り線香まで持ち出して、寝床をつくった。暗くなってりえちゃんも家に帰り、今日はここで寝るんだなあと、まんが本を枕に、板の上に敷いた新聞紙に寝転んでいたが、トイレに行きたくなり、外の草むらに出たところを、隣のおばさんに見つかって、手を掴まれて、家に連れ戻された。「何しに帰ってきたの」と母が言ったが、もう出て行けず、ごめんなさいを言って時計を見たら夜の9時だった。
 
 くま めい ととろ くるま とらつく りんご ろけつと おわり さようなら