どん底への競争

 もうとても他人事と思えず、番組の最初から、泣きながら見た。NHKスペシャルワーキングプアⅡ」。
 これまでの社会、というものが壊れはじめ、別のものへと変貌してゆくのを見ているのに違いないれど、この変貌の先には何があるのだろう。
 「どん底への競争」という言葉が、印象的だった。ひどいことになってゆくだろう。
 
 「お母さん、今日から朝からも働きだしたの。今まで夜だけだったんだけど」
 昔、児童館でバイトしていたとき、おかっぱ頭の女の子がそんなことを言っていたのを思い出す。母子家庭は多かった。お母さんが仕事で忙しいから、自分が家の用事を全部するんだと、話してくれた別の2年生くらいの子は、「あたしがいないとお母さんは駄目なんだから」と、ふだんはそのことを誇らしそうに言っていたのに、あるとき、児童館のおもちゃを(それは手づくりのあやつり人形だったが)家にもって帰りたがり、駄目だといわれたとき、「だってあたし、夜、ずっとひとりなんだよ」と、小さく叫ぶように言ったのが、せつなかった。その子のお母さんも、昼夜働いていた。
 
 屋根があって、米があって、私たちがいまこうして、生きつないでいられるのは、なんの幸運だろうと、ときどき夫と話したりするけれど、その感謝の気持ちは、明日どうなるかわからない、けれどどうなるかわからない明日を考えてみたって、それに備えようがない暮らしの現実があるということでもある。どう生活をつくってゆくか、を考えられるのは、ぜいたくというもので、生かされている間は、ふてくされずに生きてみようというのが、精一杯。
 
 そういえば高校のとき、その頃は家庭科は女子だけで、ホームメイキング、というようなスローガンがあった。歌まであって、ときどき女子だけ集められてそれを歌わされるということがあったが、私はそのホームメイキングの歌は絶対に歌わなかった。家庭生活の設計、なんて、そんな悠長なことを言っていられるような暮らしではない。あるとき母親の1日の生活を観察して記録するという宿題が出て、私はその宿題が苦痛だった。24時間の目盛の棒グラフなんかで、あれこれの問題を抱えていたわが家の、母の苦悩と、苦悩の尊さを伝えることはできず、それができない以上は、私がその宿題をするということそのものが、母を侮辱することにつながってしまうと感じた。
 結局「おきる」「ねる」程度のいいかげんなグラフと「母親の生活に興味はありません」ということを書いて、提出したレポートは、「あなたは冷たい人ですね」と赤ペンで書かれて返ってきて、はい、そのとおり、と思った。
 
 夜、外に出ると、星がすごくきれいで、冬の星は、ぴしぴし音がするような光りかたをする。飛行機の赤い小さな灯が、オリオン座あたりをよぎっていくのを眺めていたら、背後の茂みでがさがさと音がして、ふりむくと、茂みから出てきたたぬきが、いちもくさんに坂を駆け下りていった。