交差する景色

 知人の老夫婦のところから、あれこれの不要のものを、車につめこんで帰る。おばさんが歩けないので、ベッドと車椅子がはいると、部屋は身動きならないほど狭い。いらないものを捨てないと片付かない、でも使えるものを捨てるのはもったいない、というわけで、電話がかかってくるのだ。「あんたたちが使わないかと思って」。
 ええ、なんでも持って帰ります。ごみも捨ててきてあげる。できることといっては、結局それくらいしかないのだ。衣類が大きな袋に4つ。食器が、ひと山。習字道具や黄ばんだ便箋、その他あれこれ。いつかまた使うだろう、と思ってしまいこんでいた、「いつか」はもう来ないだろうことは、了解されていても、こうしてものを処分していくのは、せつないようなことではある。
 
 「おじいちゃん、おやすみなさい」と子どもが手を振るのを見ていて、去ってゆくものとやってくるものの交差する一瞬に立っているような、たしかさとはかなさが、同じであるような、なんでもなさが、かけがえなさであるような、そういう景色のなかにいることを、思った。
 
 先月のうちに、片付けておいてよかった。とりあえず、持って帰ったものを置くスペースはある。使うか捨てるかの仕分けと片付けは、来年になってからしよう。ここのところ、なんだか慌しい。ひとつずつ片付けてゆくしかないが、子どものおきている間は、なんにもできない、子どもが寝たあとは、なんにもしたくない。ので、さっぱり片付いてゆかない。