第9

 テレビから「第9」が聞こえてきて、ふいに、パヤタスで過ごした12月のことを、思い出した。94年だから、もう12年も前だ。ゴミの山は自然発火の煙がもうもうとあがり、夜になると、自然発火の炎、トラックのライト、それに、ビール瓶のアルコールランプを腰に下げてゴミを拾う人々の、アルコールランプの火で、ゴミの山はさながら、クリスマスツリーのようだった。「マガンダー(きれいだよ)」「クリスマス・マウンテンだ」と子どもたちと言いあった。そのクリスマス・マウンテンで、ブルドーザーのヘッドライトの灯りをたよりに、ブルドーザーのあとをついて、少年たちはゴミを拾って歩いた。もしもブルドーザーが、急にバックしたら、つぶされてしまうに違いなく、実際、ブルドーザーにまきこまれて、手足を失った子どももいると聞いた。夜のゴミの山には何度かのぼった。ランプを灯して、トラックが落とすゴミを待つ人々の姿は、なんだかとても幻想的で、敬虔なものに見えた。「ブワン(月)」「イシュタル(星)」と、子どもたちが空を指差して教えてくれた。
 
 ゴミの山の麓の学校、パアララン・パンタオでは、クリスマス・パーティの準備をしていた。柱にたこ糸を張ってクリスマスツリーをつくり、子どもたちはダンスの練習をした。今年は、日本人の留学生たちもパーティに参加するよ、と先生たちは楽しそうに言い、それを聞いて学生たちは出し物を考えはじめた。
 出し物のひとつが、「第9」の合唱だった。歌詞は、私が書いた。それをタガログ語に訳してもらって、みんなで歌った。シンプルでいい歌だ、と好評だった。これは誰の曲なの?ベートーベン?ふうん、そう。と、怪訝な顔をされたのは、ここではベートーベンの第9が有名ではないのか、あるいは私たちの「第9」が、もとの曲と、かけ離れてしまっていたせいか。「イカシャム(第9)」と呼んで、2週間ほど毎日歌っていた第9の歌詞はこんなふう。
  「猫がうるさい。犬がうるさい。ゴミのトラックはもっとうるさい。
   でも私たちの声はもっと大きいよ。私たちの喜びの声は。
   スモーキーマウンテンはごうごう音をたてて燃えている。
   私たちの愛はもっと激しく燃えている。
   ここパヤタスでは!」
 
 あれから12年たって、ゴミの山はびっくりするほど巨大になった。夜働く人々の腰にはアルコールランプではなく、ヘッドライトのバッテリーがくくりつけられている。パアララン・パンタオの建物は、最後のクリスマスを終えて、壊されるときを待っている。もう「イカシャム」をおぼえている人もいないだろうが、私はいまでも、そらで歌える。日本語の歌詞を知らないから、口ずさむとすれば、タガログ語のパヤタスの第9になるのだが、東京で、冬の夜道を、歌いながら歩いた。泣くかわりに歌っていたりしたのだ。あの歌に、一番励まされてきたのは、きっと私だ。
   マインガイ アン プサ パティナリン アン アソ マスマインガイ トラック ナン バスーラ
   グーニッナギギババウ アーティン ボーセス ボーセス ナン リガーヤ
   スィヌーノッグ アン バスーラ サ スモーキーマウンテン マイツーノッグ トーン ゴオゴオ
   スバーリット ウマーパウ アーティン パグウィピッグ ディト サ パヤータス 
 
 第9を聞いて、ああ大晦日だ、と思ったんだったけど、子どもと一緒に寝入って、目覚めたらもう新年だ。
 あけましておめでとうございます。